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古術相伝五代目:岩真参之事

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歴代古術相伝者の名は、みな割合に平凡な名前が多いが、この人の名前は珍しいと思う。

 

古術相伝5代目は、岩真さんである。<いわま>と読む。山駆けの達人として、名が残っている。

 

私は、この古術の芸法・言振り文化には、豊前国英彦山神宮修験道が、何らかの形で影響を与えているのではないかと思っている。

 

山岳信仰色が強い所など、修験道の匂いを感じてしまうからだ。ただ、九字を切るとかの密教的な要素は廃して、神道色をつよく打ち出している。これは、江戸末期の国学の影響と、明治以降の廃仏棄釈の世相が反映されているのではないだろうかと考えている。

 

この岩真さんは、日向の国高千穂まで、山駆けを行ったと伝えられている。そして、天孫降臨の地で、<天翔の行>を、行ったと伝えられている。あくまでも、伝承だが。この時以来、古術伝承では、山駆けの行の最終目的地は、日向の高千穂の峰と言うことになっている。ほんとにそこまで行ったと言う伝承が残っているのは、この五代目岩真さん一人である。

 

豊前福光党には、何らかの形で、九州の山岳ルートについての知識・伝承があった。そのおかげで、十二代目猪之吉さんが、幕末から西南戦争までの北部九州における四度の戦に敗れても、山中に逃れ、生き延びることができた。

 

現在、その知識は失われている。伝承として、書き残しておくだけだが、豊前香春岳から、人里を通らず、山駆けだけで、豊前英彦山に達するルート自体は、今でも地元の人間なら、おおよそ、どういけばいいかぐらいは分かるので、昔ならあり得ない話でもないと思う。第一、今でも、香春岳の猿は、このルートを通って、別府の高崎山当たりまで行っていると、高校時代の生物の時間に聞いたことがある。

 

実際に行っていたら、江戸期においては、明確な国抜けだ。今で言えば、密出・入国である。古術が、一族相伝・門外不出であった、一つの理由でもある。

もともと、豊前福光党は、反幕の気風が強く、譜代である、豊前領主小笠原家に対しても、面従腹背の気風が強い党であるから、実際に、一人くらいは、そのくらいのことを実行した人間がいたのかも知れない。

 

国抜けは重罪だから、絶対外には漏らせない秘事だっただろうと思う。江戸期なら、私のこの書いている内容自体、危険思想であろう。ある意味、民主主義の世の中だから、書けるのである。

 

ちなみに、私は、高校を卒業した、春。山駆けではなく、旧国鉄で、日向の高千穂まで行った。高千穂の、高原で、一人、五代目岩真さんや十二代目猪之吉さんのことを思うと。しみじみとしたものがあった。

 

伝承の真偽については、私は、昔から田舎で言う。<話半分>で聞いていたが、
一つの物語としてはおもしろい。そういう話を聞いて、その場所にいくのも趣があっていいのではないかと思う。

 

私は、昔は、この妙な<口承文化>が、信用できず、絶対人には言えないと思っていたが桃太郎や浦島太郎のようなおとぎ話だと思えば気楽だなと思うようになった。
なまじっか、真偽を疑うから、頑なになる。

 

最近、門生には、一つのお伽話として残しておくので、たまに、このブログを読んで
万が一、守人まで、行く者が現れれば、こういうのも含めて残してくれと頼んでいる。

ブログのおかげで、あんまり、肩肘張らずに<武者振>も残せるようになったので、大変喜んでいる。