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古術相伝6代目:茂助参之事

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古術相伝6代目は、茂助さんである。古術相伝武者振り伝えは、ランダムに聞く。都度都度に。

 

この6代目の話も、不思議なのだが、まったく平凡な話しか伝わっていない。

まず、米俵2俵取りを行い、相撲強し、薙鎌に達すと、素っ気ない。ただ、農事に良く励むとあり、そちらの伝承が詳しい。もともと豊前福光氏は、かなりの山林と田畑を所有していた。そして、よく働いた。

 

この茂助さん話の中にも、栗、柿、梅、蜜柑、だいだい、杏、茶などを盛んに植え、家人これを食す。とある。

話として伝わっているのはそれだけである。しかし、考えてみると、案外、食料をいかに確保したかという話が割合多いなと改めて思う。

 

古術で言う<家守の芸>とは、家業を切り盛りすると言うことも含まれているので、こういう話も残してるのではないかと思う。

 

まさしく家守の芸なのだ。術技的な芸法だけではなく、信仰も含めて、自給自足。一家独立自存の考えというのが非常に強い。

 

こういう話を聞いていると、自然と、素朴な信仰の中にも、足下の生活を大事にし、身を守る術としての芸を伝え、人に頼らず、独立自存の気風というものが自然と身に付くようになってくる。

 

それで、私も、ことの真偽よりも、後々のために書き残しておこうと思うようになったわけである。

 

田舎の農村なら、ある意味当たり前の考え方が、伝承と言う形で、残ったのは、やはり、芸法がなせる技であり、また、特殊な信仰がもたらしたことだろうと思う。

古術相伝が、芸法と言振りワンセットで必ず残そうとした由縁でもあろうと思う。

恐らく、どちらか一方では、とっくの昔に絶えていたことだろうと思う。私の代で、遂に他家に流伝してでも残そうと思った理由の一つである。

 

また、この食料をいかに確保したかという話には、現代の我々にも身につまされるときがある。山で家族で、栗を拾い、あるいは、鳥や真鯉を食べるとき、子ども達の目はどれほど輝いていたことだろう。今のように、飽食の時代ではなく、いつも飢えとの闘いであった頃、それは、親として生きるための必死さだったのではないだろうか?

 

そういうことを思うと、時として、涙が出そうになる。古術は、あくまでも<家守の芸>、それを忘れさせないための話ではないかと思っている。

 

この6代目の話の中に、豊前福光党7家をよく束ねとと出てくるから、確実に勢力が弱くなっていく姿が浮かび上がる。理由は、伝わっていない。食糧難からか、それとも、男系が途絶えるケースが増えたのか?どちらにしても、次第に衰亡していく、豊前福光党の哀しみが伝わってくる。この、哀しみのようなものが、後に、国学と結びついて、奇態な伝承を生み出したのではないかと、私は思っている。

 

最後になるが、茂助とは、衰亡する一族の願いでは無かったのか、ふと思うようになった。