古術相伝4代目:三平太参之事。
古術には、<変手打返>、<変手数打>と言う稽古法がある。これは、手順を決めない、組太刀のことであるが、元々は、山太刀とか山剣と呼ぶ、重い自然刀を用いていた。
しかし、これだと、怪我が絶えず、危険なために、四代目三平太さんが、これを、真竹棒を使って行うことにしたと伝えられている。
江戸期も太平の世となり、
<徳川の治世、既に盤石。しばらくは、豊前福光党世に出るの機なし。さすれば、山太刀の如きは、怪我の恐れ多く、農事にも差し障りあり。これ真に<家守之芸>ならんや。>
とこんな感じの理由で、それ以降、真竹棒を使って、<変手数打>を行うようになったが、そのために、<変手まさに、盛んとなる。>と言われている。
ちょうど、竹刀による、乱稽古と木刀による形稽古の中間点を狙った発想法であろう。また、使用する真竹についても、折れたときの破片が、目に刺さることを恐れての工夫や、重くする工夫が伝わっている。ここら辺、妙にリアリティがある。
例えば、水に濡らして用いるとか、切り立てを用いるとか、厚手の布をかぶせるとか。
さらに、鹿革などで包むとか。袋竹刀と同様な発想法である。ただし、古術のは、重く作り、本身の重さに近づけるところに眼目がある。
現在でも、<変手打返>までは、重い木刀を使用して稽古する。しかし、<変手数打>になると真竹、または、剣道用の竹刀を使用する。
確かに、木刀稽古に比べれば、怪我人は少なくなると思う。また、<真剣手合十人取>を真竹棒勝負と定めたのも四代目である。
芸法的な実戦性を維持する問題と怪我を防ぎ、実生活での営みに影響が出ない工夫。
なかなか、現代的な課題でもあると思う。