福光流は、元は単に、<福光の手>と称してた。その手、即ち、福光の術を使う者を、内輪では、単に古術者と呼ぶのが慣わしであった。それで、現在でも福光流の門中となった者は、古術者と呼んでいる。
古術者にとって、山犬は、恐るべき敵であり、同時に畏怖すべき対象だった。
山野を、自由に駆け回る、山犬の群れこそ、豊前福光党の理想の姿だったからである。
古術歴代相伝者中、唯一、真剣手合い10人取りをせずに、山犬50数頭を切り捨てて、相伝した七代目、<犬斬り吉次郎>さんの話は、神話的様相を帯びている。
また、古術者は、山犬の肉を喰らい、自ら山犬の化身にならんと欲したと言う。
元来、古術は、山岳戦を戦うための、豊前福光党の家伝の芸法に由来する。
守人3名。継人12名。計15名による、一隊。山岳ゲリラ戦を想定した合戦武術が、
その根本なのである。
長守・屋守・若守のそれぞれが、4人の継人を率い、山野を駆けめぐり
<誓約を守る>そのための実力行使の芸であった。
5人で一隊。その三隊が集まって、15人による一隊を結成する。
これが、豊前福光党の陣立てであった。
山犬のように群れて、山野を駆けめぐる。<ピルカ>の雄叫びをあげながら突貫する。
あまりに奇態故、門外不出であった。