私に取って、自給自足的な生活とは、思想運動である。
拝金思想から来るケチとは、違う。
無駄を廃し。虚飾を捨て。祖霊供養と言う本来の目的を達成する。
今風に言うとコスパかも、知れない。
しかし、コスパこそ、福光党の思想・信条の確信であり。全ての価値基準である。
ある同僚が、自分はたゆたっているが、私には、それがないから、うらやましいと言われたことを、この春菊の花を見ながら思い出した。
確かに、私は、迷うと言うことが、少なかった。
それは、常に古術的な価値基準で、判断していたからだと思う。
その替わり。世の中とは、生き難かった。
この年になると何が正しいのかわからなくなったが、どんな時でも、古術思想で判断している私を、ようやく受け入れるようになった。
春菊。野菜として。食べる。その後。祖霊供養用の花として用いる。
生きとし生けるものを無駄にしない。
里山の農山村の暮らしをいろこく残す古術思想が、私は好きだ。