日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

田川・筑豊・北九州・行橋  護身術・日本拳法道・グローブ空手・総合格闘技・総合武道 風門館HP http://www5.atwiki.jp/wotoko/

風門之儀2022。鍛錬手合とは何か?「1万分の1」の達人技と遭遇する時。田川郡福智町武道館。10月2日。

www.youtube.com

 

https://www.youtube.com/watch?v=L2VPrQzNyNM

 

風門之儀2022。鍛錬手合とは何か?「1万分の1」の達人技と遭遇する時。田川郡福智町武道館。10月2日。

 

風門館では、自由組手のことを、わざわざ「鍛錬手合」と呼んでいるが、奇をてらって、風変わった名前をつけている訳ではない。

 

文字通り、鍛錬のために手合うから、そう呼んでいる。つまり、組手の目的をはっきりさせるために、敢えて、そういう名称を用いているのだ。

 

私は、20代まで、形稽古しかしない流派で育った。形稽古には、形稽古の良さもあるが、一方で、ぬるい稽古になりがちだという負の側面もある。また、理屈走って、机上の空論に走りやすい。そういう人間を生み出す土壌にもなりやすい。

 

その流派がどうのとかではなく、元々、そういう人間が集まりやすいところがある。

 

私自身、武道は、書物で学ぶタイプ系の人間だったから、机上の空論をとうとうと述べる人間の欠点も重々承知している。

 

また、形稽古の流儀の一番の欠点は、どうしても、掛が甘くなるというところにある。乱取り主体の人間は、形稽古でも掛は厳しく攻めるが、形稽古しかしたことのない人間は、基本、攻めの鍛錬をしないから、その攻めがゆるくなりがちだ。

 

ただし、全て、人によるのは言うまでも無い。

 

私にとって、武道稽古の最大目的は、凡夫のための護身実用で有り、それ故に、生涯武道が出来る体系と速習性のバランスのあり方を研究してきた。

 

その、護身実用と生涯武道という相反するテーマを、凡夫なりにバランスを取るために、乱取り主体の日本拳法道と形稽古しかしない福光流をうまく同居させたのが、現在の風門スタイルとなっている。

 

防具付きの徒手総合武道・日本拳法道は、防具を付けることで、技の自由度をほぼ空道並みに高め、同時に安全性を担保するという理念のもと、今から37年前に結成された。

 

私も、その実用性と安全性のバランスに魅力を感じて、33年前、日本拳法道に入門したのだが、安全なはずの防具付きでも、こんな事故が起きるのかという事例を数々見てきた。

 

今回の事例もそうだが、アマチュア草の根でも、長くやっていると万分の一、千分の一の確率で達人技を発することがある。

 

拍子、相手の呼吸、脱力の仕方。色々な要素が偶然かみ合って、胴の上からでも、内部に浸透する当身を発することがある。

 

流行の言葉で言うと、まさに、<鎧通し>

 

めったに起こらないが、たまに起こる。発した本人からすると、たまたまであり、再現しようとして出来るかというと出来ないのだが、達人は、これを意図的に自在に出せるのだろうということはわかる。

 

逆に、この手を受けた方は、ショックが大きい。まさかの衝撃なので、何が何か分からない。未知の衝撃。それ故に怖い。

 

しかも、風門では、普段から、<鎧通し>を狙った稽古はしている。実現はしないが、そういう稽古をしていること自体は、知っている。

 

そして、たまに、偶然、再現性は無いが、そういう当身が実在することを知ると、<試し合い>や、普段の鍛錬手合でも、用心深くなる。

 

そういう経験を経た後の人間の形稽古は、ひと味違ってくる。

 

<鍛錬手合>・・・最大の狙いは恐怖心の克服だろう。それを克服して、拍子・間合い・気走り・力走り・魂走りを読む鍛錬法。

 

形でも到達できるだろうが、乱取りの方が速習性の点で優れている。しかし、乱取り主体だと、継続性に劣る。特に、我々のような市井に暮らす凡夫にとって、乱取り主体で、継続的に稽古を続けることは、難しい。

 

速習性・再現性・普遍性・実用性・継続性。

 

そのバランスをどう取るか?

 

風門館は、元々、肉体的弱者である私の経験に基づいて、稽古体系を組んでいる。私でも出来た稽古。しかも、その時々の年齢で。

 

それを基準にして、門人の指導にあたっている。だから、根気力のある人なら、誰でも続くシステムになっている。

 

また、試合に勝つことより、負けないことを最優先にしている。この場合の負けないとは、ゲームの勝敗では無く、怪我無く試合を終えることを意味している。

 

試合の翌日に、仕事にいける体で戻ってくること。それが、一般社会人である我々の一番重要事であると考えている。

 

その意味を強調するために、自由組手では無く、<鍛錬手合>と呼んでいるのである。

 

コートに上がると、草の根・アマチュア防具付きでも何が起こるか分からない。アマでも一万本に一本、千本に一本、達人技が起きるかも知れない。

 

そういうことは、めったに起こらないから、防具付きは安全なのだが、しかし、その万分の一が、明日、試合で起こるかも知れないし、また、確かに起きることを長く続けるほど目にするか、自分が味わう。

 

そういう恐怖に打ち勝つためには、遊び半分の稽古ではいられない。稽古はゆるくても心は真剣になる。

 

そういう環境を整えるためには、多少酷ではあるが、鍛錬手合も必要と言うのが私の考えであり、そのために、乱取り法として、日本拳法道を主とする稽古をしている訳である。

 

風門館事務局。0947・32・3550。代表福光まで。