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福光流柔術拳法 縁起 その2 薙鎌を失った後、鎌倉古流を名乗る意味があるのか?
鎌倉古流豊前伝福光派古術の最大の特色は、「長柄の草刈り鎌」をよく使うことにある。この「長柄の草刈り鎌」を古術では、「薙鎌」と称し、得物第三法・本手として位置づけている。
開祖、明正公が、豊前福光谷に帰農するに当たって、百姓の家守の芸として編み出した護身用の得物芸法だ。薙刀の理合いで使うと口承されている。
私の門下で、ある程度、得物の稽古をやったのは、木霊丸師範のみ。それも、元手(太刀術)36本のうち、脇勝12本(初伝)・仕手勝12本(中伝)まで伝え、変手勝12本(奥伝・剣体術)は、ランダムに稽古して5・6本を伝えたのみ。
本来の古術ではないものを、古術の名前で残して果たして良いのか?薙鎌を失伝して、なお鎌倉古流を名乗ることは後世本来の古術を知らぬ者に誤解を生むのではないか。それを私は一番恐れている。
煩悶するばかりである。
現在の豊前・筑前の門下は、基本的に日本拳法道の看板で集まってきている。風門館は看板に偽り有りを嫌うので、日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館と名乗ってはいるが、そもそも、古術を学びたいと来たわけでは無い。
従って、現在も日本拳法道を主軸とし、競技用・護身用に古術の手業をベースにしたものを「風門館護身体術」としてランダムに切り売りしているのが現況だ。
この薙鎌の動画の存在を知っているものも、現在、わずかに3名。私の年齢と門人の希望とを考え合わせれば、古伝の古術のうち、80%は失伝するだろう。
残った20%を鎌倉古流として継承して良いものか?そこも考えた上、むしろ競技用・護身用として必要な技から伝授し、その中に、古術の面影が残れば十分という気持ちで、風門館を起ち上げた。
ならば、私を第1世とする福光流柔術拳法として、後世に残した方が誤解を招かなくてよいのではないかという考えに辿り着いた。
今後も、風門館の主軸は、日本拳法道になるだろう。そして、護身用に、小太刀・鉄バチ術・手鎖などを残せばよいかなと考えている。
多くを失伝するが、田舎流儀としてまあまあ残せた方だろう。特に、体術は、日本拳法道ルールで使えるものが多いので、それなりに残っている。
ただ、本来の古術のように厳格に一本目からという稽古法は取れない。週一回2時間。そこで、競技用から護身用まで幅広く稽古する訳だから、そもそも、全伝残すのには無理がある。
風門館で指導している手業のうち、古術由来のものは、はっきり福光流として残し、形の手順の編成は、概ね古伝通りやっているのだから、ランダムに教えている部分は、跡を継ぐ者達に任せようと考えている。
また、今後のことがあるので、ここで、はっきり書いて置くが、私はこの35年間。日本拳法道の指導をしてきた。その数、のべ800人以上になる。
そのうち、元、田川同好会時代の者、風門同志会時代の者には、一切古術の技は教えていないし、存在そのものを隠していた。
従って、風門館になってから、私の直轄道場で教えた者だけが、古術の技を知っている。
先行き、古術を語るものなど出ないとは思うが、世の中、何が起こるか分からないので、ここで明言しておく。
また、日本拳法道と福光流は別物だから、風門館以外で、古術を教えている訳ではない。私の直轄道場のみ古術を教伝している。
過去、私が古術のことを隠していたので、私の使う組討術などを、日本拳法道のものだと勘違いし、私の許可無く独立、挙げ句の果て迷走した人間がいた。その個人が迷走する分には、私の知ったことではないが、日本拳法道の看板で人を集め、指導したため、結果としてその近辺での信用を著しく落とし、やりっ放しで終わったということが起きた。
その反省もあって、以降、古術を隠すのを辞めた経緯がある。
後世の誤解を招かないよう。古伝のうち、20%程度しか残せないのなら、新たに福光流柔術拳法として、護身実用とは何かを研究する方がベストだというのが、私の到った結論だ。