https://www.youtube.com/watch?v=LD9_pXEcQvk
風門館は、形稽古中心で稽古をしている。そういうと古流の人からは、それは形稽古では無いというおしかりを受けるだろうが、それを承知の上で言わせてもらえれば、そもそも、流儀の違う武道の用語に、何をもって正解とするのだろうという疑問を常々持っている。
風門の形稽古とは、技の受け返し稽古であるから、それを形とは言わないという主張は知っているが、だから?と言う気分になる。
術理に関する用語・理念・理合・芸法が違うから、一つの流儀を形成しているのではないだろうか?
多様性が叫ばれる昨今。その割には、他流儀が風門へ自分の価値観を押しつけてくることに反発を覚える。
相撲48手という。それと同じで、日本拳法道ルールで、他流試合をするために必要な手業の稽古を受け返しで学ぶ風門スタイルを、我々は形稽古と呼んでいる。
それは、形稽古では無いと言われても、当方としては、ああ。そうですか。としか言いようが無い。
それが、当方の文化で有り、縁もゆかりもない他流の人から、おしかりコメントをもらっても、多様性ですからとしか答えようがない。
と、前置きが長くなったが、要するに風門では、<形稽古=手業の練り稽古>を中心と行い、鍛錬手合=スパーリングは、極力負担のないように工夫している。
そういう稽古体系でもって、日本拳法道ルールによる他流試合を行い、そこそこの実績を残しているので、我々としては、現在の稽古体系に不備を感じない。
もちろん、プロになりたいとか、アマでも、テッペンを取りたいとか言う人には、週一回2時間の風門の稽古体系では、不満を感じるだろうが、そもそも、そういう人に入ってくれとか頼んだ覚えはないし、また、本気でそういう世界を目指している人がうちに来るはずがない。(もちろん、来たら、歓迎します。)
我々、風門が、対象にしているのは、多忙な社会人でかつ、週1回2時間の稽古が精一杯と言う人で、その上で護身術なり武道を学びたいと言う人なのだ。
この修練体系に至ったのも、私の数々の武道遍歴による挫折が大きく関わっている。
続く。
動画説明:豊前福光派古術:掛け投げの稽古風景。
風門館は、組討(投げ技)・掻取(寝技)のベースは、福光流を使っている。それをアレンジしながら、32年に渡って、日本拳法道ルールによる他流試合を繰り広げ、週一回2時間の割には、柔道の二段・三段クラスや、最近ではブラジリアンの青帯クラスともそこそこの闘いを演じている。
乱取り中心の競技武道や格闘技の人からすると信じ難いであろうが、それが、事実であることは、風門と立ち会った多くの他流の人が証言するだろう。