日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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福光流柔術拳法 縁起 その5 新しきの古のために 

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福光流柔術拳法 縁起 その5 新しきの古のために 

 

ある日、ネットを眺めていると、日本五大捏造流儀というワードが目に飛び込んできた。ほう~。あそこもそうなのか。ふんふん。と言う感じで見ていたら、何と我が古術も5番目にランクイン。驚いたというか。よく見つけたもんだなと感心した。しかも、他の4流儀のことの真偽は私にわかるはずもないが、私も知ってる有名流儀で、門人も相当数いるでかい流儀ばかりだ。

 

それに比して、この鎌倉古流は、自分が古術者としての自覚があるのは、わずか4人という無名も無名。いつこの世から消えてもおかしくない塵芥のような存在だ。

 

ネット時代の恐ろしさとも言えるが、ほんとよく探したというか見つけたなと感心せざるを得ない。

 

元々、日本拳法道と古術併伝の風門館を起ち上げる際に、我々のような流儀が表に出ると似非古武道・捏造古流として叩かれるから、いっそ、俺が作ったと流儀として世に出すかと、起ち上げ時のメンバーである。木霊丸氏・千手丸氏と相談したものだ。

 

特に、何かの権威にすがって生きる流派でもないので、めんどくさい古武道評論家に証拠を出せ、証拠を出せと執拗にネット上で論争になっても時間の無駄だ。

 

風門館は、日本拳法道も併伝しているのだから、机上の空論に付き合ってる暇など無い。

 

しかし、それは、それで嘘になるので、躊躇するものがあった。素手5法・得物5法。これに、信仰文化体系である<言振>まで、もし私一代で作り上げたとしたら、これは、もう天才以外の何者でも無い。

 

祖霊に対する冒涜になるのも気が引けるし、12代目の<必ず豊前福光党の名を残すように>という遺訓は、我々古術者にとっては絶対である。

 

というようなことを考えながら過ごしていたら、あっという間に16年が経ち、この風門館起ち上げ時のメンバーで残っているのは、わずかに4人。

 

従って、このドイツからの客を迎え入れた時のこと知っているのは、木霊丸免許五段師範・千手丸免許四段師範補・多聞丸目録初段のみである。

 

現在の風門館のメンバーは、そもそも、日本拳法日本拳法道の区別を知らないまま入門した者が多い。まして、古術とか聞いても何のことか全く分かっていない。

 

それで、これは、日本拳法道。これは古術・福光流といちいち説明しながら教伝している。

 

現在の風門館の門人は、護身を学びたいとか、健康法としてやりたいとか人が多い。日本拳法道と古術の区別もさほど気にしていないというか、下手をすると<風門館護身体術>として教えている技は、全て日本拳法道として勘違いされる不安は尽きない。

 

しかし、そうやって稽古しながらも、うちで、3段、4段と進んでいくとやがて、私の教える技の何が、日本拳法道で、どれが古術なのか分かってくるようになる。特に、平均年齢50歳で稽古している風門館のメンバーは、競技目的でない人も多い。

 

日本拳法道は、そもそも、競技武道で有り、安全に他流試合が出来ないか?と言うことで創流された団体だから、根本的に競技偏重かつ、他流試合をしてなんぼの流儀だった。

 

私も、昔はその最先頭に立っていた人間の一人で有り、当時、最高年齢である私が現役であるから、当然、全員、強制的に大会に参加させ、その大会が終わる度、一般部が逃亡。また、一から人集めの繰り返しだった。

 

最終的に、その集客にうんざりして、相手が一人いれば稽古できる古術を木霊丸氏と稽古して余生を過ごすつもりで現在の風門館を起ち上げたのが真相の一つである。

 

しかし、福岡武道館復帰への色気は隠しきれない。で、結局、メンバーも入り替わり、稽古内容が古術中心だったのが、結局は、元の木阿弥というか、またしても日本拳法道のための稽古中心となり現在に到っている。

 

この変遷はあっても、私のやってることはさほど変わっていない。その都度都度のメンバーに合わせて、日本拳法道と古術の比重を変えているだけだ。

 

で。問題は、私以降である。現在の風門館に、入門した多くは、#大人のための護身教室 で入門した人が多数を占める。

 

私は、看板偽り有りを嫌うので、護身目的・競技目的・健康目的・精神修養目的など、入門者の目的に応じたメニューを提供しているのも事実だ。

 

となると、現在、<風門館護身体術>として教伝してる技の90%は、古術で有り、その技を今後どうするのかということを考えてきた。

 

競技目的の人間は、真っ直ぐに日本拳法道をやればいいのだが、40歳以降の人に競技用の稽古はきつい。競技でなくても日本拳法道も全員に教えているので段・級の発行は問題ないが、古術の段・級をどうするのか?

 

今後のことを考えると真偽論争に巻き込まれる鎌倉古流の免許をを発行するより、むしろ、私が創流した福光流柔術拳法の方が、すっきりするだろうと思い決断するに到った訳だ。

 

私の創流では、何の権威もないが、鎌倉古流福光派そのものが、<江戸期百姓の家守の芸>を堂々と名乗る流儀で有り、人様の権威などを当てにする流儀ではない。

 

この独立自存自衛の精神こそ、古術福光派が、最も尊ぶところだから、福光流柔術拳法としたところで、祖霊も怒りはしないだろう。

 

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名乗りの変遷はあっても、中身と精神は変わらない。豊前福光党の手と豊前雛之衛士の精神が残れば幸いなのだ。