日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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福光流柔術拳法 縁起 その4 鎌倉古流豊前伝福光派古術は使えるという確信に到った頃。

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https://www.youtube.com/watch?v=7UQz_toImio

 

福光流柔術拳法 縁起 その4 鎌倉古流豊前伝福光派古術は使えるという確信に到った頃。

 

私が、徒手総合武道で数々の他流試合をこなしたことは関係者の中で有名である。しかし、実は得物でも他流試合をした経験を持っているということを知る者は少ない。

 

私が、57歳の頃、北九州で真剣での実戦刀法を研究する団体があった。もちろん、本身ではない。その団体の着想点の面白さは、斬れる斬れないではなく、動けるのかどうかにあった。つまり、江戸期の常寸の刀の長さ・重さに合わせた袋刀という得物によって、立ち会うとどういう動きになるのかを探ろうと言うことだった。この発想は、今でも優れていると思う。

 

現代剣道と古流剣術の動きが乖離しているのはなぜかを検証しようという試みだった。

 

誘われて、私もこの前後、得物による他流試合を繰り広げた。この動画は、その時の立ち会いの一つだ。

 

このルール。動画で見るとなんちない感じだが、相当怖い。この白い柔らかそうなものが袋刀だが、中身は鉄パイプである。その外側を緩衝材で巻いてるから、軽くて柔らかそうに見えるが、重くて痛い。

 

基本、寸止めでの立ち会いなのだが、どうしても触れる場合がある。その時の重い衝撃と言ったら恐怖以外の何物でも無い。本気で打ち込めば、小手の骨折はいうに及ばす。頭蓋骨陥没がいつ起きてもおかしくない。

 

相手の腕を信頼しないと成り立たない競技だ。

 

従って、動いて、かつ、寸止めできる力量の者しか参加できなかった。つまり、かなりの腕前のものだけの稽古会と言うことになる。

 

現代剣道でも3段クラス、二天一流の免許者、神道夢想流の4段クラス、中国拳法、西洋剣術など、得物版日本拳法道の大会と言った感じだった。

 

この動画の黒い拳法マスクを被っているのが私だ。なぜ、マスクを被っているかというと51歳の頃。網膜剥離で手術。これが人生で7回目の手術。医者に聞いたら、失明覚悟でやってくださいと言われるような体だったのに、この私の異様な他流試合好きが高じて、この当時かなりはまっていた。

 

相手の名前を出すとけっこうびっくりするほどの有名人で、ドイツ流西洋剣術を日本にもたらした第一任者で、その世界では、筆頭格の人間であった。そういうのは、立ち会った後、おいおい分かるようになってくる。

 

こういう他流試合の場合、初見の相手は、自分の素性を隠す。私も名乗っていないが、立ち会えば、互いの力量も分かるものだ。

 

相手からすると、多分、剣道の出身だろうと思っていたのだろう。途中、私の右小手を握ってきたが、私がそういうのに驚くはずがない。むしろ、そういう系が得意な流派だ。すっと小手を抜くと、おや?と驚いたような顔をしていたのを今でも鮮明に覚えている。

 

某ブログで、私のことなのだろう。錆び付いた体で、腹が出て、昔の栄光にすがって生きているオワコンとか書かれているらしいが、それは、錆び付くだろう。この57歳時点で、手術歴7回。7回手術して、衰えた体で、しかも、57歳でこんなことをやっているのだから。お前やれるのかと言いたくなる。

 

私の住む片田舎でも、私よりすごい人はいくらでもいるが、私のように徒手で5種類のルールの公式戦44戦・非公式道場デスマッチ100本取りを越え、かつ、得物での他流試合経験を多数持つ人間は数が少ないと思う。

 

こういう数々の他流試合を通して、私は、古術は使えるという確信に到った。日本拳法道+鎌倉古流=風門スタイルこそ私の理想だと思い、以降ぶれることなく私自身の護身実用のために指導・稽古・運営を続けて今日に到っている。

 

当初は、元手(太刀術)だけでも、残そうと思ったが、残念ながら剣術を学びたいと言う人間が現況いないので、これも断念している。

 

ただ、小太刀・バチ術は、日本拳法道で集まった門下も嫌がらないので、小太刀・バチのみは残そうと思った次第である。

 

再三、書いているが、私に、残された時間がどれほどあるのか、自分でもよく分からない。芸法家の場合。単に寿命が長いことだけでは済まない。最低限、形の指導・技の指導が出来ないと話にならない。

 

最近、確かに体が錆び付いている。というより、急速に衰えている。手術歴8回。元々体が弱いのに、これだけのことをやったのだから私個人は満足している。そして、普通の運動もしてない人間より体の弱い私が、なぜ、これほど他流試合ができたのかと言うと、これは、間違いなく古術の技術力・修練体系・教伝体系のおかげである。

 

だから、系統立てて全てを残せないなら、ランダムに、競技用と護身用に必要な技だけを残そうと思うに到った。

 

しかし、それは、私の学んだ本来の古術とは言えない。それならば、いっそ新流としてやろうと決意した次第である。

 

それが、新流儀・福光流柔術拳法誕生の瞬間である。