日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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福光流柔術拳法 縁起 その7

www.youtube.com

 

https://www.youtube.com/watch?v=UDgMHG2d4AY

 

この動画は、正式に古術を教えるために、風門館として再出発を決めた頃の写真集である。

 

これが日本拳法道?と言うような内容だろう。それはそうだ。この頃は、古術色が強く、古術8割、日本拳法道は基本だけ教えていて、形の指導などしていなかったような気がする。

 

ここで、ある特徴に気づくと思う。やたら神社の境内で稽古しているなと思うことだろう。実は、そこが古術の道統を守る上で最大のネックでもあった。

 

鎌倉古流福光派は、芸法・神事・祭事三位一体を特色とする。特に、神事の部分が強い。その信仰部分を「言振り」と呼んで、今の時代でも外に出すのには躊躇する。恐らく、この「言振り」も、私の代で終わりになるだろう。

 

従って、一般の芸法流儀と違い、手業を隠すための門外不出と言うより、その信仰・思想部分が絶対、外にもらせないから徹底的に福光党男系男子だけによる一族相伝門外不出を貫いてきた。

 

芸法よりも神事が先。むしろ、その信仰を守るために太古より一族の自衛のための武芸であったとも言える。

 

江戸期、福光党の信仰が外に漏れたら、遠島になる可能性があった。万が一の際の武装信仰集団と言った方が実は正確なのだ。

 

残したい本音と、これを全て誰かに引き継がせるには気が重い。この部分が、いつも、私の代で終わらせるかと悩み続けてきた部分である。

 

その結論を得るまでに長いことがかかったが、ようやく、昨年、踏ん切りがついた。これも多少なりとも出せる部分は、ネットなどで、公開し、言えない物は、私の代で終わらせようと腹が決まった。

 

これも、福光流柔術拳法として残そうと思った、最大の理由かも知れない。

 

では、「言振り」の一端を書き残して置こう。

 

古術では、ヤッ、ハッ、タッ、トォーとい気合いを掛ける。

 

これを文字に直すと「八幡党」となる。つまり、「八幡大菩薩を信仰する党」という意味になる。

 

しかし、これは表である。この辺までは、江戸期でも表に出せた。

 

裏がある。裏は、「八・破・断・党」となる。八を破り断つ党。ここまで、書くと古事記などに詳しい人なら、福光党の信仰対象が分かるだろう。

 

美作菅家党の末。元手は相撲。豊前雛之衛士を自称。

 

こいうヒントで、分かる人には分かるようになっている。

 

しかし、こういうのに食いついてくる文人が過去何人かいたが、日本拳法道の乱取りを見ただけで消えていった。

 

逆に、武道・格闘技で強い人たちは、こういう話しの触りをしただけで、受付けない。

 

他流試合をして、芸法修練60余年。で、これだけの「言振り」文化に馴染む私が極めて特殊な存在のようだ。

 

福光党男系男子の中で、最も虚弱で、本来武道などに向いていない私がただ一人16世守人として選ばれた訳だと今なら納得がいく。

 

恐らく、他流試合100本取りと「言振り」の両立が出来る人間は、今後出ないだろう。古術には厳格な決まりがあって、芸法と「言振り」は陰陽一致となっている。片方だけでは、それは、残すべき鎌倉古流ではない。

 

「言振り」は、元々福光党男系男子のみ、それも、芸法修練を経た人間にしか伝授されない特殊な信仰文化体系である。

 

これは、私の代で終わりにしようとようやく思うに到った。

 

「言振り」は捨てて、芸法の20%程度を護身用として残す。後世に福光党の名を残すためには、それがベストだろうと決心した。

 

こういう経緯で、福光流柔術拳法を新たに起こす気になった。