総合武道 風門館 日本拳法道連盟・福光流柔術拳法連盟・錬和会空手道 三法一致

田川・筑豊・北九州・行橋  護身術・日本拳法道・防具空手・グローブ空手・防具MMA・武道MMA

福光流柔術拳法 縁起 その6 恙なしや故郷

www.youtube.com

 

https://www.youtube.com/watch?v=r-HvUFRWr9o

 

福光流柔術拳法 縁起 その6 恙なしや故郷

 

古術は、間違いなく私の故郷だった。60余年に及ぶ、芸法修練の基本・基盤を作った。私の全ては古術から始まったと言える。懐かしい故郷そのものだ。

 

日本拳法道連盟風門同志会を発展解消させ、日本拳法道と鎌倉古流併伝の風門館を起ち上げたとき、稽古の大半は、古術の元手(太刀術)だった。

 

古術の稽古は、人が思う以上に荒っぽい。剣道の素振り用の重くて太い木剣を当時は使用していた。で、こんな感じで駆け走り、駆け斬りの稽古もがんがんやっていた。

 

この懐かしい風景から、既に16年経っている。こんな風景を知っているのもわずかに4人。

 

風門館起ち上げ時に、私は、正式に、日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館として看板を掲げた。

 

ところが、私が、勝手に日本拳法道を改変して、新しい流派をたてたという噂を流す人間がいた。馬鹿か。と言いたくなる。どうして、日本拳法道からこんな太刀術が生まれるのだ。私は、木立伝日本拳法道については、正確に教えている。

 

だから、宗家からは何にも言われたことはない。自分の武道理解の浅さを省みず、己の理解の範囲内で物事を考えるからそうなる。その個人が、どう思おうが、その個人の自由だろうが、それが、意図的な誹謗中傷となるなら、私は徹底的に闘う。

 

古術は、古術。日本拳法道は日本拳法道だ。風門館の看板を見ろ。ちゃんと日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館としているだろうが。

 

当時、私自身は、古術を本格的にやりたかったし、当時の門人は、千手丸氏以外、全員古術志望だった。

 

だから、こういう古術中心の稽古をしていた。私にとって、日本拳法道は、福岡武道館で他流試合をするために存在している流儀だった。そこへ送る選手がいない以上。日本拳法道を教える気にはなれなかった。

 

だが、同時に、かって少年部を含め、日本拳法道・硬式空手などで、優勝・準優勝を取りまくった風門隊の幟をもう一度、福岡武道館に立てたいと言う思いも消せなかった。

 

そこに転機が訪れたのが、2012年頃だったか。獅子丸氏が入門してきてから、私は、また、福岡武道館を目指すことになった。柔道二段・打撃経験0の20代後半。日本拳法道の選手として即戦力になる逸材だった。この頃、仕事の関係で離れていた千手丸氏が復帰。

 

ここから、また、他流試合への道まっしぐらとなった。しかし、その当時でも、福岡武道館を目指しつつも、古術の元手の稽古もさせていた。

 

だから、この当時の門人である千手丸氏・獅子丸氏・多聞丸氏を引き連れて、北九州・筑豊地区で得物から徒手の出稽古三昧だった。

 

従って、この3人は、得物の他流試合も経験している。

 

さて、話しを戻そう。この懐かしい風景・私の故郷である古術に対する未練も多分にあるが、芸法というのは、稽古する人間がいないと成立しない。

 

現在の、門人にこんなことをさせたら全員辞めるだろう。風門館では、今も毎週土曜日。古術の得物だけのコースを設けているが、稽古者0、問い合わせ0が実情だ。

 

この三法陣も、映像として残るだけになるだろう。この動画も既に16年ほど前のものではないだろうか?

 

三法陣の掛稽古の存在すら、現在の門人は知らないし、知ったところでやりたいという人も出ないだろう。

 

それでも、鎌倉古流を名乗るべきなのか?けっこう私としては深刻な問題だ。体術のいささかと小太刀・バチ術のみが残ったとして、それを鎌倉風流伝古芸として残す意味があるのか?むしろ名前だけ残した場合、後世に豊前福光党が編み出した膨大な芸法が誤解を招き、侮りを受ける。それの方が、祖霊に申し訳が立たない。

 

手業の80%を失う以上、それは、もはや、古伝の古術とは言えない。

 

結局、新流として、福光流柔術拳法を立てる気になったのも、その点が一番大きい。

 

備忘録

 

ネットの世界は便利だ。特に、我々のような弱小道場は常に集客に苦しんでいるので、ネットなしでは活動そのものが成り立たない。

 

しかし、一定数の馬鹿から、たまに、頭の悪いコメントが来る場合がある。例えば、この表題を「恙なしや故郷」としているから、→「恙なしや友がき」が正しいとかがすぐに入ってくる。

 

知った上で、敢えて「恙なしや故郷」としている意図が読み取れない。文字は読めても文脈や書き手の真意が読み取れない。その自分の程度の低さを平然と書き込んでマウントを取った気分でいる。そう言う低俗さにうんざりするが、この世の全ては陰陽だから仕方が無い。

 

そういう風門館に取って無用な人間は、全てブロックしている。時間の無駄だからだ。

何事も一長一短である。

 

この歌の歌詞は、私の古術に対する思いそのものである。

 

  1. 兎追ひしかの山、
    小鮒釣りしかの川、
    夢は今もめぐりて、
    忘れがたき故郷。
  2. 如何にいます、父母、
    つつがなしや、友がき、
    雨に風につけても、
    思ひいづる故郷。
  3. こころざしをはたして、
    いつの日にかかへらん、
    山はあをき故郷、
    水は清き故郷。