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豊前福光派古術得物第一法・元手:脇勝:1本目:刺:変化:糸引

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豊前福光派古術得物第一法・元手:脇勝:1本目:刺:変化:糸引

 

脇勝とは、初伝であり、まず、受ける、かわすを学ぶ。

 

その1本目の刺しは、(ちなみに古術では送り仮名を付けないという風習がある。)相打ちの覚悟を教える形だと述べてきた。

 

もちろん、最初の一手というのは、その流儀の根幹思想を示すことが多いので、族人・族党を守るためには、刺し違える覚悟。一人一殺の覚悟を徹底的に教え込む必要性が、江戸期まではあったと言うことだろう。

 

武家が、腹を切ることを子供の頃から執拗に教えられ育つように、古術者は、万が一の際には、必ず一人道連れにする覚悟を教育されるのである。

 

そういう教えが、今の時代に必要かどうかは、私の判断するところではない。ただ、古術とはそういう流儀だったとしか言いようが無い。

 

その覚悟と同時に、この1本目から、前後の体捌きを重視している点が、特徴なのでは無いだろうか?一方で、相打ちを教え、一方で前後の敵への対処を教える。

 

矛盾しているようだが、それが、古術の陰陽(おんみょう)思想である。

 

陰と陽の中間では無く、陰も陽も両極を認め、その両極があることこそがこの世の実相であると考える古術思想の典型が、既にこの1本目に示されているのだと考えると思想的によくできた形だと感心してしまう。

 

初手で平腰による前後、真名手で落とし腰による前後、最後の変化。この糸引きでは、

右構えのまま、背後に振り向く訓練を積む。

 

要するに、野戦白兵戦を前提として、まず、背後に振り向いてもバランスを崩さない体捌きを徹底することが狙いなのだ。

 

太刀を持って、稽古すると分かるが、背後への振り返りは、けっこうバランスを崩しやすい。

 

近代古術は、幕末から明治10年の西南戦争まで、銃砲火の中をくぐり抜けながらの野戦白兵戦を体験した上で構築されている。

 

その中で生き残るためには、徹底的に転ばないことが重要だった。転ぶとは死ぬこととと同義であったのだろう。駈け斬りを得意とする古術に於いては、どんな状態でも転ばないことを重視している。

 

ちなみに、大東亜の時、福光党からは、二人、歩兵として南方戦線に出征し、偶然なのか、あるいは、古術の初歩的な手ほどきを受けたせいなのか。二人とも無傷で帰還している。

 

昔から、古術者は戦では死なないと言われてきたそうだが、先の大戦でも、出征者二人で、100%帰還しているから、偶然と言えば、それまでだし、何かあると言えば何かあるのではないかと思ってしまう。

 

私が、古術を信じている一つの数字的根拠でもある。

 

付記すると、その二人は、古術者の中でも、初歩的な段階。他流で言えば切り紙程度で終わっている人間なので、先々代から言わせると、ああいうのは、古術者の中には入れない。継人でもなかったと非常に軽侮していた。身内故に、名を汚すことが許されなかったのだろう。

 

最後になるが、糸引きの名の由来について述べておこう。

 

剣先から糸を引くように、すっと半回転して後方を向く。この時、右構えのまま、半回転するのが特徴だ。回転後即座に後方を斬る。

 

当たり前の話しだが、私には、日本刀による実戦体験などない。従って、このような手業が、果たして実戦で有効なのかどうか検証のしようがない。

 

ただ、私は、日本拳法道を始めとする各種ルールで公式戦を44戦闘い、道場デスマッチは、その倍以上闘っている。

 

その現場を見た人、あるいは対戦相手から、バランスが悪そうで、バランスが崩れないから不思議だとよく言われた。

 

確かに、私は、体術とは言え、当て身・組み討ち・固めありのぐちゃぐちゃした乱取りの中にあって、バランスを思ったより崩さなかった。その要因は、古術の得物芸法の形稽古で培った体捌き・歩法の影響が大きかったような気がする。

 

古術は、私の代で終わる可能性が高いが、備中・備前の理解者のおかげで、こうやってたまに稽古が出来るだけでも幸せである。

 

体が動く限り稽古したいものだと祖霊に感謝しながら、日々を過ごしている。

 

鎌倉古流豊前伝福光派古術。第16世守人 福光三郎左衛門進 拝。