https://www.youtube.com/watch?v=RIfsBtmqNoA
令和5年10月29日 日曜日 晴れ 田川郡福智町武道館(金田1313番地1)
行者:千手丸氏・千木丸氏・八咫丸氏・弦音丸氏
稽古内容 体術総合・体術護身・護身得物
・首の鍛え・体の鍛え
・護身得物術:豊前福光派古術
元手・小太刀:脇勝六本目縦車:藤一文字
口伝:鎌掛け・裏崩し
・豊前福光派古術:組討稽古:
払車・尾長鳥・大外刈・負車・裏捨身・肩車 各5本ずつ。
・受け返し 各自フリー5種稽古 60秒×8R
・突っ込み、円掛かり 30秒×2
・鍛錬手合 L4・2分2R、千手丸氏・八咫丸氏
・L1 弦音丸氏・八咫丸氏各60秒 2分1R VS千手丸氏
累計:千手丸氏30R、千木丸氏8R、八咫丸氏・19R、弦音丸氏3・5R、上羽丸氏3R
風門館事務局 0947・32・3550 kirara.1958ss@gmail.com 代表福光まで。
いよいよ、大会まで、後2週間。最後の追い込みをかけている。風門館の追い込みとは、勝つことよりもいかに無事に帰るか。そこが主題なので、とにかく、闘っても、怪我をしない稽古を続けているが、それは、楽な稽古を意味しない。
選手を含め、総動員だから、送り出す側も、消耗していく。常に、若者が欲しいと言う悲鳴もここから来ている。
しかし、今年は、2月の佐賀、6月のタフス、10月の風門祭と、千手丸四段・45歳にして、11月12日の福岡武道館を含めると年間4本の大会に出ることになる。
私が、引退ずる最後の年、40歳の時に、アマKB2本。日本拳法道福岡武道館・全九州硬式空手と4本出た時の状況に似てきた。
45歳で、ここまで試合に出るのは、アマチュアとしては、狂気の沙汰だが、全ては、本人が決めることだから、一任している。
昨日の稽古の様子。
試合稽古は、師範補と八咫丸道場町に任せ、私の方は、護身組の指導にあたった。
千木丸氏が、左肩負傷・ドクターストップがかかっており、また、弦音丸氏も体調不良のため欠席が続いていたが、昨日から復帰。
もちろん、組み手などは出来ないし、組み討ち稽古も当分無理だろう。
そいう時に、便利なのが、古術の稽古である。風門館福智町武道館は、日本拳法道コースなので、普段、護身用として、15分程度、古術の中の護身用の手をランダムに教えている。
最近、小太刀の簡単な手業も教えていた最中なので、この機に、少し本格的に小太刀を教えたいと二人に伝授した。
私の教える体術の内、組み討ち・護身用は全て古術由来である。従って、得物であろうと基本の体捌きは変わらない。
むしろ、得物で歩法・体捌きを錬磨するから、体術もすぐにこなせるようになる。また、古術の歩法・体捌きは、日本拳法道とも相性が良いので、特に大きな変化がない。だから、私から、普段、体術を学んでいれば、得物もスムーズに溶け込んでいく。
二人とも、実技を通して、普段の私の説明が腑に落ちたようだ。
左手が悪ければ、足と右手で出来ることをやる。体調が悪ければ、無理の無い範囲で稽古をする。
風門館は、競技武道で勝つことを目的とした道場では無い。申し訳ないが、週一回2時間、それも、毎週来れない一般社会人が、競技武道で勝とうとすること自体が、どだい無理な話しである。
人に勝つということは、相手の三倍の稽古が必要だ。勝ち負けに拘るのなら、MMAとか、KBジムに行って、週5日くらいの稽古は、アマチュアでも必要だろう。
私も最盛期は、週5日稽古していたし、現役時代は、最低でも週3回は稽古していた。
その代わり、サラリーマンが、それをやると稽古が続かないか、仕事を辞めるか。体を壊すか。のどれかになる確率が90%というのが私の体感だ。
護身として、生涯稽古する道を選択するのか?人生の思い出として華々しくスッポットライトを浴びてみたいのか。
人それぞれの選択があろう。今は、競技武道や格闘技の乱立する時代。パット燃えて、パット辞めたい人の選択肢は余りにも多い。
しかし、風門館のように、護身と健身、そして、競技武道もやる道場となると案外少ない。しかも、ワンストップで。
私は、もちろん、護身・健身を目的に生涯武道としてやりたいから、今から、15年前、鎌倉古流も教える風門館として今の形で、再開した。
競技武道の華やかさ、かっこ良さも知っているし、形武道のゆったりズムも知っている。
その両者のバランスをうまく取っているのが、風門館だと自負している。競技武道もやりたいが、生涯武道もやりたいという人には向いている。
当分、体が治るまで、小太刀で、体捌きと歩法を学ぶ。修得する。錬磨する。
道は長い。歩き続けるから道なのだと私は考えている。<急がば回れ>という言葉があるが、武道の道も、人生も、全て緩急だと思う。
熱く燃えるyぷに稽古する時期も大事だが、ゆったりと自分の体と対話しながら、武術の本質とは何かを問い続けながら、修練していく。
そういう職人的な生き方も、また、人生を豊にすると私は感じている。