日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門館徒然。千日鍛万日錬。田川郡福智町武道館。2022・3・13。

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https://www.youtube.com/watch?v=-QjmCyoK9KU

 

風門館は、30代・40代を主たる対象とする護身教室として活動している珍しい団体だ。

 

その関係で、30代・40代の武道格闘技未経験者から、この年齢で始めても大丈夫でしょうか?と言う質問をよく受ける。

 

護身術としてやる分には、始める年齢は関係ないと答えているし、実際、始める年齢はそれほど、関係ない。

 

ただし、続くかどうかについては、年齢よりも、性格が大きく関係してくる。

 

この、33年間、のべ800人以上を指導した経験則から、だいたい、続かない人は、半年以内で見当が付く。

 

変に几帳面というか、完璧主義タイプは続かない。

 

風門館は、武道を稽古している。武道の、<武>は、当然、武術の<武>である。だから、普段、ゆるい稽古を売りにし、無理・無茶はさせないが、逆に、全く痛くもかゆくもない<武>をやっている訳ではない。

 

武術を含む以上、痛みは当然つきものだし、打撲などは怪我の内には入れていない。

 

また、40を越えると、稽古とは別のところで、体の故障が当然出てくる。そういう時に、ちょっとでも怪我をしていると休むタイプの人がいるが、こういう人は基本、続かない。

 

無理・無茶をさせないと言っても、日本拳法道自体は、打撃系総合競技武道であるから、試合に出る・出ないは別にして、稽古は、当然、試合に出ることを想定して稽古している。となると、むしろ、完璧な体調であることの方が珍しい。

 

週1回2時間の稽古を、少しの怪我とかで休んでいたら、それはいつまでたっても上手くもならないし、強くなりようがない。

 

週1回2時間を休まずに来ても、月8時間にしかならない。8時間勤務の仕事なら、一日分だ。そのわずかな稽古時間を、さらに、どこかを痛めたとか、体調が悪いとか言って休んでいたら、それでは、進歩しないだろう。

 

最も、私は、そういう稽古の仕方を否定している訳ではないが、意外とそういう努力しない人間に限って、自分には才能が無いとか、教え方が悪いとか、色々と不満を並べ立てるから、びっくりする。

 

おい。おい。そういうのは、稽古してから言えよ。それしか言いようがない。

 

千木丸氏。今、手が悪い。稽古で怪我をしたとかでは無いが、49歳にもなると、あちらこちらと故障が出てくるのは、仕方が無いことだ。

 

それで、休んでいたら、進歩はないのだが、稽古にきちん来て、蹴りの稽古を中心にやっている。こういう人が続く人で、確実に上手くなっていく人だ。

 

そもそも、日本拳法道自体が、打撃・投げ・関節・絞め・寝技10秒を含む総合競技武道だ。それにプラスして、風門館では、福光流をベースとする、護身用の手も稽古する。時間がいくらあっても、足りないのが現状だ。

 

やることはいくらでもある。手が使えない日は、足業を稽古する。足が悪ければ、手業の稽古する。

 

手も足も悪ければ、寝技の稽古する。特に普段やらない、絞め業や足関節などをそういう時に指導している。

 

二時間、柔軟だけでもいい稽古になるはずだ。

 

人のペースは、それぞれなので、私は、人のペースに、注文をつけるということはしない。しかし、稽古をしない、稽古に来な人間が不満を言うことには怒りを覚える。

 

私は、無い物ねだりをする人間が、一番嫌いだ。マイペースでゆっくりやりたいのだったら、試合に勝ちたいとか、早く黒帯になりたいとかは当然諦めなければならない。

 

普通、3年で黒帯になるところを、私は、6年かけてやりますと言ったら、それで、いいですよと言うのが、風門館のポリシーだ。

 

ただ、早く黒帯になりたいとか、試合に出たいとか、試合に勝ちたいとか言ったら、当然、それに見合う努力を要求する。

 

自分の発した言葉に責任のを持つ。それについては、風門は、異常にうるさい。

 

我々は、武術技の錬磨を通して、士道とは何かを肉体言語で学ぼうとしている団体である。

 

風門士道の要は、自分の発した言葉に責任を持つ。これが、基本だ。

 

試合に出ると言ったら、必ず出る。そうなると、大会前までに、L4で、30Rこなさなければならない。

 

となると、週一回2時間の稽古を休みどころではない。大会前には、最低でも、1ヶ月前からアルコール禁止。大会後も1ヶ月はアルコール禁止。

 

競技目的と護身目的、あるいは健康目的では、稽古内容が違うのが当たり前だ。

 

昔、私が現役の頃、門人も当然若かった。当時は、全員強制的に試合に出していたが、大会が近づくと来なくなり、大会が終わると稽古に来る奴がいた。

 

まあ、試合が怖いんだから、しょうがないと特に問題にもしなかったが、私の出た真武館全日本を、予選とか無いんですねと言ったから、ぶち切れたことがある。

 

そこで、日本拳法道の大会に強制的にエントリーさせたら、試合前、突然風をひいてそれっきり、来なくなった。

 

かれこれ、20年以上前の話だが、自分の発した言葉には、責任を持たせる。それについては厳しいのが、風門館の伝統である。

 

そして、千木丸氏のように、手が使えないときは、足技の稽古をする。そういう風に、雨の日も風の日も、「千日鍛万日錬」と言葉には、出さなくても、行動で示す。

 

それが、風門士道の理想だ。

 

片田舎の小規模無名道場のくせに、大袈裟なと笑われるだろうが、

世間から笑われても、理想に向かって歩き続ける。ゆっくりでも、少しずつでも、前に向かって歩き続ける。

 

それが、我々の御道の行なのだ。