https://www.youtube.com/watch?v=1E6TePpSC98&t=211s
最近、頻発している列車等での刺傷事件の際に、逃げたら良いという意見がわき起こる。
それに、どこか違和感を持つので、自分なりの考えも述べてきたが、この説明が一番自分の言いたいことだった。
やはり、専門家の説得力は違う。
言葉の持つ力の大きさとは、実は、その背後にあるものの考え方・思想にある。
<逃げたら良い>という言葉と言うよりも、その背後にある思想に私は、違和感を持っているんだろうと思う。
戦後75年。ひたすら不戦思想が蔓延する中、その不戦思想のある種の表現形態がこの、<逃げたら良い>なのでは無いだろうか?
何度でも繰り返すが、逃げることが合理的であるならば逃げたら良い。しかし、家族を捨てて、あなたは逃げるのか?
そこへ行き着くと思う。また、この、バスなどの、狭い空間で、逃げようが無いとき。どうするのか?最後は、抵抗して、一分でも生き残せる可能性にかけるか。逃げられないから諦めて無抵抗で死ぬのか?
極論は、そうなると思う。
<逃げたら良い>という、ある種の免罪符。思考停止に違和感を持っていたので、この動画で私の言いたいことが整理されてすっきりしている。
<この逃げたら良い>は、万が一の、国防の際にも発揮されるだろう。しかし、日本列島から逃げるのは簡単ではないし、受け入れ先があるのかどうか、定かでは無い。
大袈裟なと思われるだろうが、小田急線や京王線の事件が起きるなど事前に予想していた人は、少ないのでは無いか?
東北の津波もそう。世の中には、想定外がいつも起きる。
小と大は、相似形である。己一身の思想は、治国における雛形でもある。
ことに、民主主義国家においては、個々人の思想の集合体が、政を作る。大は必ず小の相似形であるという、古術の雛形思想は、間違っていない。