風門館 大人のための護身教室 日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 公式ブログ

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昨今。刺傷事件頻発するに及び。退き口考。

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https://www.youtube.com/watch?v=mc4ft35wYqU

 

今年に入ってから、刺傷事件の発生頻度が、高すぎる。田舎の風景は、未だに牧歌的だが、日本の治安は確実に悪化している。心せねばならない。

 

こういう事件が、起きる度に、<逃げたら良い>という言葉が、ネット上にあふれているが、そこに、私はいささか違和感を感じている。

 

無論、逃げて済むなら、当然、逃げれば良いのだが、<逃げたら良い>という言葉の中に、ある種の思考停止を感じてしまい、違和感を持たざるを得ない。

 

<逃げたら良い>と言っている人たちの前提が、どうも、若くて健康で、かつ単身の人間を前提にしているのでは無いかと感じてしまう。

 

若くて、健康で、単身者であれば、逃げるのが最も合理的だ。しかし、子供を抱えた家族連れの父親が、子供を捨てて逃げたら良いのか?そういう前提は全くないように感じる。若くて、健康で、単身者という前提自体が、極めて都会的な発想だと感じる。

 

田舎は、事情が違う。概ね、家族持ちであるから、行動の大半が、家族連れであることの方が多い。その際に、子供や女房を置いて、自分だけが逃げるということ自体あり得ない。

 

また、私などは、63歳で、老人の部類に入る。しかも、両アキレス腱を断裂しており、逃げても、すぐに追いつかれるか、アキレスを断裂して、むしろ逃げる方がリスクが高い。

 

最近、出歩くときは、二つになったばかりの孫を連れていることが多々有り、その際に、万が一に遭遇したら、孫と息子を逃がすために、盾になることの方が、私にとっては、合理的な判断となる。恐らく、死ぬだろう。しかし、私が時間を稼いでいる間に、孫が助かれば、命の捨て場としては悔いは無い。

 

<逃げたら良い>のは、逃げる脚力のある若者で、単身者にとっての合理的な選択肢だが、そこで、思考停止して良いのかと常々感じている。

 

私は、道場でよく話すのだが、そもそも、<逃げたら良い>のであれば、武道や武術より、陸上をした方が合理的だろう。

 

武術は、逃げ場が無い場合の最後の手段として存在してきた。そう、私は考えている。退き口は。複数あった方が良い。

 

逃げたらよいで思考停止していたら、その退き口を断たれたとき、必ず、脳が混乱する。即ち、居着くのである。居着くことが最大のリスクである。

 

だから、退き口は、いくつか持っておくべきだ。前に進むことで退くと言う選択しもある。島津の退き口と同じだ。

 

その、最悪の場合に備えて、武術というものはあると考えるのが、福光派の考えだ。だから、稽古を続けている。

 

武術や護身術は役に立たないと言う人も多いが、私も、実際には、役には立たないだろうと思っている。しかし、役に立たないから、やっても無駄だとしたら、国防なども無用の長物となるだろう。

 

役に立つとか役に立たないとか言うのも既に安全地帯からの発想ではないだろうか。生きるか?死ぬかという刹那。役に立つも立たないも無い。

 

無心に生き残るために、己の全てを賭けて、生き残る可能性のために、防御する。反撃は最大の防御である。

 

今までの事件を見ても、狙われているのは、女性・子供・老人だ。心神喪失と言いながら、きっちり弱者を選別している。

 

無抵抗こそ、最も、相手の攻撃を誘発し、報復こそ、最大の防御だと言う事実を忘れてはならない。

 

抵抗すると思えば、相手も、考える。その時間で、警察がかけつけるのを待つ。

 

ちなみに、素手で、刃物には勝てないと言われるが、当たり前だ。なぜ、刃物に素手で向かわなければならないのか?

 

万が一の際、私は、過剰防衛など気にしない。風門館で、稽古をしていれば、徒手の稽古であっても、短棒の使い方は自然と会得する。

 

そういう、万が一が無いことを祈りつつも、理不尽に凶刃に刺されて、死ぬなど我慢で

きない。これだけ、理不尽きわまりない刺傷事件が続けば、市井に暮らす凡夫ほど、いざと言うときの覚悟も必要な時代だと感じている。

 

なお、これは、私の考えで有り、他流の方と議論する気などはないことも付記しておく。