風門之儀2020。風門チャレンジ。「御更衣百度之行」 8月2日。田川郡大任町B&G。
https://www.youtube.com/watch?v=J_P5GzVZIH0
「風門チャレンジ」について書いている。「チャレンジ」と言うと、すぐ、大会へのチャレンジと、思われがちだが、風門の場合。それぞれが、設定した目標をクリアーすることを差して、「風門チャレンジ」と呼んでいる。
例えば、木霊丸師範の目標は、豊前福光派古術の得物芸法の手数の修得にある。古術などの田舎芸法が大袈裟なと思われるだろうが、これで、なかなか、手数が多い。
得物の基本は、元手(太刀振り)から始めるが、これだけで、36本・108手ある。口伝・変化を入れると、手数は、もっと多い。
花手12本・得手12本と来て、現在、変手勝(奥伝)の二本目:叩きを学んでいる最中である。私の代までは、習った手を、守人の「よろしかろう。」が出るまで、花手の1本目から、延々と振り続ける行が、年5回あり、それを「御更衣」と呼んでいた。無論意味は、「お温習い」のことである。
今は、そういう時代でも無いので、順序よく、花手の1本目から教伝している。
かれこれ、10年かけて、ようやくここまできた。しかし、その間、日本拳法道も稽古し、福光流の古伝体術、薙鎌、棒之手、手鎖などの得物術もランダムに教えているので、かなりの技を伝えた。
古術の良いところは、順序よく、手業を修得していくところにある。達成感があるのだ。
今、自分が、何本目を稽古しているのかが、一目瞭然だから、目標が立てやすい。行者を飽きさせない工夫だろう。また、その手数を踏むことで、最初の基本の意味が分かり、全体像が見えてくる。ここら辺が面白い。
木霊丸氏の目標は、私が稽古できる間に、いかに古術の手業を修得するか。その一点に尽きる。風門館は、日本拳法道を併伝し、大会や鍛錬手合の動画を多く出すため、派手に見えがちだが、目標は、自分が立てることであって、私が決めることでは無い。
私の仕事は、各自の目標。各自の壁の登り方を教えることにある。登攀の先達者。それが私の仕事である。
だから、エベレストとか、私が登ったことのない山の案内など出来るはずも無い。そういうのは、そういう人の元へ行けば言い。
英彦山や九重までなら案内できる。風門館は、そういう場所である。
文章は、前後するが、私が、一番困るのは、自分で、目標を定められない人間だ。どの山に登りたいのか?
なんとなく。多分。こういう言葉を連発する人間は、続かない。目標が無いということは、登る気が無いということだからだ。
別に、冬の日本アルプスを目指せとか。モンブランをめざせとか言ってるわけでは無い。福智山なのか?英彦山なのか?香春岳なのか?
それさえ、定まらない人間は、武道以外でも、自分の軸が定まってない。多分とか・じゃないですかねとか・なんとなくとかは、実は、逃げの姿勢なのだ。曖昧にして、責任を取りたくない。言質を与えたくない。
風門は、そういう人間を嫌う。目標がないと言うのも同じ姿勢から来る。目標を明言するとできない時に責任が発生する。だから、常に曖昧模糊とした、責任逃れをするために、目標を定めない。
私は、「武士とは、自分の発した言葉に責任を取る覚悟がある者」と定義している。だから、「有言実行」を重視する。その風門のある意味きつい姿勢が分かってくると、今度は、有言しない人間が出てくる。有言しなければ、実行する必要が無いからだ。
責任を取りたくないからそういう姿勢となって、言葉も曖昧模糊となる。しかし、そういう生き方をしていると、人生の全てに於いて、その生き方が出る。
なぜなら、それが、その人間の思考のくせになっていくからだ。その結果。優柔不断な。無責任な。魅力の無い人間となる。
人の輝きは、その人自身が生む。木霊丸師範は、若いときに他流との道場デスマッチをえぐいほど経験している。
だから、今は、静かに、淡々と古術の得物芸法の修練を通して、自分と向き合い、一つ一つ手業を磨いている。
まさに、行者。最近、風門には、年輩で入門する人が増えてきた。55歳で、現役連中と殴り合う宮崎宗範も一つのモデルなら、黙々と古術得物芸法の稽古をする木霊丸師範も一つのモデルである。
「儀」には、規準・手本と言う意味がある。時々、私が、「風門之儀」として挙げる記事は、一つのモデルを提示する意味で書いている。
新規の入門者達は、それぞれのモデルを参考に、自分の登るべき山を決め、その登るルートも決めて欲しいものだ。
ちなみに、私の下袴が破れているが、ネット上だけで、面識も無い人間が、すぐに余計なお世話コメントを入れてくる。全く無用である。