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豊前福光派古術 当身 置車 田川郡福智町武道館。令和4年11月12日。
古術では、相手の当身に対処する技も含めて、素手第1法・当身として分類している。
自分で言うのも何なのだが、古術の優れているところは、この手業が、そのまま、拍子取りともなり、双手術ともなることだ。
更に、元手の変手勝ともなるように工夫されているので、当身として習っても、口伝を受ければ、そのまま、状況・得物に応じて使いこなせるようになっている。
ネットなどで、古術は、日本5大捏造流儀の一つとして数えられているようだが、我々、古術者は、それを見て笑っている。
なぜなら、この当身を拍子取り・双手術・元手と使いこなす発想を個人で得るのは、並大抵ではないと思うからだ。
少なくとも、私個人ではとても無理だ。第一、手業に名前を付けるだけでも一苦労だろう。
歴史的な経緯については、多少盛っている話はあるだろうが、手業に関しては、これほど、面白い技はないと、自負している。
最も、私には、古術を普及させたいとか言う気は無いので、気楽に稽古が出来る。私の本願は、古術の手業が、数手でも、生き残ることだ。
現在、得物については、木霊丸師範が、着実に引き継いでいるし、また、備中の空丸師範も熱心に研究されているので、十分満足している。
体術も、風門館の門中諸氏が、日本拳法道ルールに必要な組討法と当身。護身用として取手は、かなり残るだろう。
もう後、10年ほどは、形稽古は出来そうだから、日々、「福光の手」も、残っていくだろう。
古術には、神秘的な達人技はないが、合理性・普遍性・汎用性の高い技はいくらでもある。
一人の達人を作るより、15人のそこそこを作ることを目的とした流儀だから、その点は徹底している。
平時なら、達人を目指す時間もあろうが、乱時には、一人の達人より、15人のそこそこの武者を育てる法が戦力になる。
大阪の陣以前、既に鉄砲の集団戦の時代に入っていたのだから、いざ、鎌倉に備えるのに、一人の達人を作っても仕方が無い。
武芸の流儀とは、根幹の思想・その時代背景・歴史的経緯を理解しないと本質が分からない。
最も、他人様に理解してもらおうとは思ってもいない。使えるから伝承している。その一点に尽きる。
今も、武道経験の長い、木霊丸師範・空丸師範・千手丸三段が、熱心に学ぶのもその点を知っているからだろう。
まあ、面白いから稽古している。ただそれだけのことである。