日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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令和3年度 豊前福光派古術連盟 初穂之御更衣・縁起。10月17日。於九州豊前田川福智町武道館。

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最近、新しい会員も増えた。風門館では、私の下で、日本拳法道連盟の級を取った者に、同時に福光流の同等の級を与える。それが、門人である。

 

その中で、初段以上の者は、門中として区別している。だから、会員と言った場合。風門館に稽古に来ているが、まだ、日本拳法道の級を受けていない人を指している。

 

会員は、お客さんであるから、丁寧に対応する。級を取って、門人になるとその級に応じた責務を取らせる。更に、進んで、初段以上を取ると門中となるから、責務の負担は当然重くなる。

 

そして、いよいよ、3段以上となると、古術では、継人となるので、当然、風門館の運営に関して、意見を述べることも出来るし、責務の負担も大きくなる。

 

こういう、昔ながらの徒弟制度的なことを、風門館は未だに維持している。

 

最も、そういう意味合いを知ることもなく、大多数が辞めて行くので、普段は、そういうしきたりごとを語ることも無い。

 

風門館は、日本拳法道と豊前福光派古術を教伝する場所である。打撃と乱取り・試合は日本拳法道で行う。そのうち、組討・寝技・短刀取りの類いは、ほぼ、福光流を以て行う。

 

初心の間は、何が、日本拳法道で、何が福光流か分からない状態だが、やがて、長年の稽古を経て、これは、日本拳法道、これは福光流と言うのが分かるようになる。それが、三段以上であろう。その段階を以て、正指導員として処遇する。

 

この度の、日本拳法道連盟風門館の昇級審査会。それは、同時に福光流にとっては、令和3年度<初穂之御更衣>を兼ねている。

 

だから、私が正装して、福光流の拍子取・1本目:叩き表裏の形を演じている。礼法は略式だが、手業は、古伝のままである。

 

日本拳法道は、格闘技と武道の境界線上に有り、立ち位置が非常に難しい流儀だ。武道から入った人間には、武道なのだが、格闘技出身者にとっては、格闘技にしか見えない。その違いを説明して行くには、時間がかかる。

 

特に、風門館は、日本拳法道連盟内でも、私が、福光流古術と言う、前時代的な流儀の出身であるため、異色の文化を有している。

 

最新式のMMAの技術に関心を抱きながら、真逆の古くさい、田舎くさい、ぬかみそ臭い文化を依然として抱えている。

 

しかし、私にとっては、それが自然なのである。他流試合を肯定し、他流との技術交流を平然とやる一方、日本拳法道形を墨守し、木立先生の教えを忠実に守る。と同時に、私の中の古術文化を決して捨てない。

 

それを嫌う人もいるが、それが、好きだという人もいる。

 

私は、時流を読むことも重視しているが、時流に流される生き方を拒否した人間でもある。

 

かって、フルコン全盛時代を横目で見てきた。今や、KBやブラジリアン全盛の時代であるが、<今様>の手業に、目を見張りつつも、文化的には、古術の文化は捨てがたい。

 

風門は、私が作り、私が育てた。32年間、私が、私の理想を追う場所として、試行錯誤しながら運営してきた一つの家である。

 

風門館において、館長とは、家長である。後、10年くらいは、指導者として居座るつもりである。その間は、私の理想を描き続けたい。

 

私が、指導者として引退したら、後を継いだ者が、その人の好きにすればいいと思っている。風門館という名前が消えても良い。古術の文化を消し去っても良い。

 

家風は、家の主が決めることだ。

 

ある一つの道場とは、そういうもので良いと私は、思っている。