日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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第7回風門祭 演武之部 風門館護身体術・展開6種。田川郡福智町武道館。令和4年11月27日。

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https://www.youtube.com/watch?v=WhTFMlz3qsY&t=3s

 

風門館護身体術・展開 

直突に対する受け返し6種:横手・掛取・小手取・挟取・被取・置車

風門館 福光三郎左衛門進(日本拳法道5段・鎌倉古流豊前伝福光派古術第16世守人・免許皆伝)  
風門館 田中康司(日本拳法道2段・鎌倉古流豊前伝福光派古術第17世継人・免許5段)
  
*風門館護身体術とは、日本拳法道と豊前福光派古術の手業を融合させ、風門館が護身用として独自に開発している手業の総称で有る。通常の稽古の40%近くが、この手業の稽古で占められている。風門館が、「大人のための護身教室」を謳って活動している所以である。

 

私は、万が一の際の護身実用を考えて、武道を稽古している。だから、競技武道も、そのためのツールの一つだと考えている。

 

形も乱取りも、私にとっての、あるいは、私の門人にとっての護身実用の手段であれば良いのであって、他流に関しては、その技が使えるのかどうか以外には、関心がない。 

 

これが、私の基本的な考えだ。

 

なぜ、いきなり、こういう話しから入ったかというと、護身実用のためには、生涯武道であることが前提としてあらねばならないからである。

 

今回、壮年男子変手の部を開発し、55歳くらいまでは、大怪我をせずに、競技武道も楽しめる環境を作り、一定の目処が立った。

 

しかし、その後はどうなるのか?

 

確かに、現役でいつまでも乱取りをすればかっこいいだろうが、我々のような凡夫にそれができるのだろうか?

 

私は、出来ないと思っている。55歳過ぎて、乱取りをばんばんやっている時点で、既に凡夫とは言えない。

 

憧れはあっても、自分が同じ事をやっていたら、怪我と同居の乱取りの現実といつまで向きあえば良いのかという問題が出てくる。

 

しかも、乱取り・競技で致命的な怪我をして、武道などしなかった方が、より強かったのではと言うケースも当然起こり得るし、そういう事例を武歴が長くなれば知るようになる。

 

私は、競技・乱取りの方が、速習性があると考えているが、どこかで引退しないと老いてから体がボロボロでは、護身実用に反するということも念頭に置かなければならない。

 

この、速習性と継続性の矛盾をどう解決するのかは、各個人の判断によると考えている。従って、風門館では、40歳以上の門人の試合への強要は一切していないし、逆に、止めるということもない。

 

ルール・大会のレベル・本人の技量で、危ない・出ても大丈夫だろうの判断はするが、最後は自己責任が、競技武道の世界の掟だと私は断じている。

 

さて、そこで、本題なのだが、では、競技・乱取り納め以降、どうすれば良いのか?稽古自体は、ゆっくり無理の無い範囲でやれば、何歳になってもできる。

 

現に、私は、64歳で、過去手術歴8回という体だが、形稽古や技の指導はまだ出来る。

 

しかし、この風門祭のような場で、審判しか出番が無いでは、寂しすぎる。

 

そこで、今後の道標として、我々二人が、3回稽古しただけで、厚かましくも演武に出た。

 

競技を引退した場合の、道標となるためである。

 

冒頭で説明しているように、風門館護身体術は、日本拳法道と福光流を併伝する風門館ならではの技法群だ。

 

私の人生の前半は、古術を中心として、空手・剣道・合気系を学んだ。しかし、人生の後半、31歳から今まで、常に中心にあったのは日本拳法道であったので、気がついてみると、私の中で、日本拳法道の技なのだが、古術的な解釈をした方が、私の体にすっと入るという技が増えてきた。

 

逆に、これは、もはや古伝の古術とは言えないくらい、当身に関しては、日本拳法道の手業が染みついているものも増えるばかりである。

 

そこで、日本拳法道形・古伝の古術の形とは別に、その両方が入り交じった、混種系は、風門館護身体術として、10年前から教えるようになった。

 

それが風門館護身体術である。

 

今風な古術で有り、古風な日本拳法道。絶妙なバランスだが、むしろ必然とも言えるし、最も風門館らしいのが、この風門館護身体術と言えるだろう。

 

ある種の自由形として、捉えてもらえれば理解が早いのではないだろうか?

 

競技引退後の老・壮年は、この護身体術の展開を演武すれば、護身実用ともなり、晴れの舞台での武舞ともなる。

 

即ち、古術のお神楽舞の再興でもある。

 

これに、楽を伴い、双手に鈴を持てば、そのまま古術のお神楽舞再興となる。

 

恐らく、天神地祇が、それを望んでいる。つまり、武舞を望んでいる。だから、風門の後押しをしてくれているのだ思えてならない。

 

まだ、拙いが、天神地祇が欲しているのは、一途さだろう。欲しいのは、お神様を敬い奉る素朴な信仰心で有り、一途な赤心だろう。

 

人の真心・赤心のエネルギー波がないと神も衰える。

 

柏手を打って空気を払い、勇壮に男たちが身削ぎの行で、荒魂をぶつけあう。

 

震動こそ、神の望みだ。しかも、邪念のない、清澄な荒魂のぶつかり合う波動こそが神の神気を呼び覚ます。

 

おかしなことを書いていると思われるだろうが、「これが古術なのです。」としか言いようが無い。

 

この好きな道を終生歩きたい。

 

風門館事務局 0947・32・3550 代表福光まで。