日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門之儀・2021。吾駆けぬけよ 吾の男よ 。

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風門之儀・2021。吾駆けぬけよ 吾の男よ 。

 

また、こういうことを書くと、批判される時代である。しかし、男が男でなくなったら、男の取り柄などあるのであろうか?

 

ライオンの雄は、闘うこと以外何も出来ない。餌は雌が獲る。雄が怠けものと言うわけでは無い、近接戦闘力に長けている方向に進化したため、ライオンの雄は、長く走れない。従って、群れを守れない、即ち雌に相手にされない雄は、いくら近接戦闘に強くても飢えて死ぬしかないという非情な現実がある。

 

人間もそうだ。平和な時代。男は、女に勝てない。

 

一人で生きていく才能に関して、男は、女に対して圧倒的に不利である。女は、一人でも生きていけるが、男は、一人では生きていけない。

 

若い時分は、そうでもないが、年を取れば取るほど、男は、無惨になる。これは、男が悪いというより、男という種がそうなのだとしか言いようがない。

 

私の持論は、<男女は平等だが、同質では無い。>ということだ。

 

男女平等はいいのだ。しかし、男女は同質では無い。男女平等を勘違いして、男が男であることをやめたら、圧倒的に女に対して不利になるのは目に見えているだろう。

 

そこが、わからない男が、戦後教育の中で大量生産され、やがて、無惨な孤独死にあえぐことになる。

 

私が、風門館で活動しているのは、この戦後教育に否を唱えるためというのもある。

 

男が、男らしくある場を作りたい。それには、コンタクトスポーツが一番である。

 

しかしながら、コンタクトスポーツは、危険が伴う。ラクビーであろうと、格闘技であろうと、競技武道であろうと、肉体がぶつかり合うスポーツで、完全に安全なものは、ひとつとしてない。

 

だから、私は、31歳の春に、日本拳法道に飛び込んだ。

 

我の中の男を確かめるために。と同時に、極力、仕事に支障が無いように。

 

防具を着けて、撃ち・投げ・極め・締める。アマチュアとしては、ほぼ何でもありだが、防具を着けることで、安全性を担保する。しかも、大会は、フルオープントーナメント制であるため、あらゆる、武道・格闘技が参加でき、ほぼ100%近く、他流試合になる。夢のような世界であった。それが、日本拳法道だった。

 

あれから、32年間。九州豊前田川で、道統を守ってきた。

 

本日、48歳。千木丸氏が、日本拳法道の茶帯に挑戦するため、二本の自由組手に挑んだ。相手は、どちらも黒帯。

 

黒帯が下手に見える。つまり、それほど、千木丸氏の組手が、不動であったと言うことだ。日本拳法道連盟の段級審査で重視するのは、バランスである。身体の軸線が崩れていないかどうか。ここを重視する。

 

ど突き合いの中で、軸線が崩れないこと。これが、非常に難しいし、護身としては、最重要事である。致命傷をもらわないためには、軸線が常に立っていなければならない。

 

技術的には、そうなのだが、それを成しうるためには、恐怖心の克服と、技術的な裏付けが必要となる。そう、稽古を休まずに来ない限り身につかない。

 

防具を着けているから、安全性が担保されているのだが、その安全性というのは、極力怪我を防ぐ、後遺症を防ぐと言う意味合いであって、実際は、衝撃の強さに驚いて辞めて行く者が大半である。

 

また、日本拳法道は、剣道と違い、道具外れを狙うことも構わないので、こういう地稽古では、むしろ、道具外れを狙いに行く。苦悶である。

 

そういう中で、最後まで、拳を振り続け、蹴足を飛ばす。

 

私は、その姿を男らしいと思っている。

 

公教育で、騎馬戦も駄目、棒倒しも駄目、組み体操も禁止。男が、男であることに目覚める場は、どんどん、失われていく時代だ。

 

そういう時代にあって、一般社会人が、男であることを証明し、しかし、翌日、仕事場に行かなければならないというぎりぎりの線を狙うなら、日本拳法道は最良の場の一つであると確信している。

 

今日、私は、闘う千木丸氏の乱取りに興奮している。だから、私の好きな歌を贈ろう。 

 

ジャージーの 汗滲む ボール横抱きに 吾駆けぬけよ 吾の男よ  佐々木幸綱