風門館 大人のための護身教室 日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 公式ブログ

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「野生と知性」の話し。風門館はどこまでも時代に抗う。


第5回風門祭:日本拳法道錬成大会:軽量級第一試合。

 

https://www.youtube.com/watch?v=-6KCuahwuno&t=109s

 

私は、人間には、「野生と知性」の両方が必要だと思っている。

野生と言うより、蛮性といっても良い。

 

恐らく、これは、人が生き物としての性なんだろうと思うが、旧脳と新脳の対立矛盾こそが人間の真実なのではないかと思う。

 

旧脳が勝てば、この世は乱れ、無秩序と混乱が支配する。悪魔とは、旧脳のことでは無いのか。それを新脳を持ったホモサピネエンスが、言語化・具象化した者が悪魔だと私は想像している。

 

しかし、新脳が勝ちすぎると、生き物としての本能を失う。即ち、生殖本能も失い。やがて、そのDNAは淘汰される。これが、現在の草食男子とか、少子化の遠因では無いかと。これもまた想像している。

 

神と悪魔との闘いとは、実は、旧脳と新脳の戦いなのでは無いか。これが私の勝手な想像なのである。根拠は無い。皮膚感覚でそう感じているだけだ。

 

さて、本題の「野生と知性」の話しに移ろう。

 

今の時代、知性はいくらでも発揮できる。いわば陽だ。

 

しかし、野生を発揮できる場所は少ない。

 

ラグビー・アイスホッケー・サッカー・格闘技・競技武道。こういう激しいコンタクトスポーツなら、野生を発揮できるが、果たして、身の回りにいるだろうか?

 

サッカーはいるかも知れない。しかし、ラガーマンなど、私の長いリーマン生活の中で、出会ったのは一人だけだ。

 

騎馬戦も差別になるから駄目らしい。棒倒しも危険だから、廃止。組み体操も危険だから廃止。

 

私は、昭和33年の生まれだ。我々の上の世代、いわゆる団塊の世代に押さえつけられていた世代だが、確かに、団塊の世代は、荒っぽいし、ワイルドだった。

 

それに比べたら、元祖シラケ世代と呼ばれた、我々の世代は、大人しい。我々の世代で、国公立大学に進学した人間で、生の喧嘩を体験した人間は、極めて少数派だと思う。

 

もし、いたとしても、上場企業のリーマンにはなれていないはずだ。

 

そういう我々でも、騎馬戦をやり、鼻血を流し。

棒倒しで鼻血を流し。

組み体操で、骨の軋む体験をしている。

 

それでも、大人しいのだ。

 

にも関わらず、騎馬戦が駄目・棒倒しが駄目・組み体操が駄目駄目世代はどうなるんだろうか?

 

その点を危惧している。しかし、コンタクトスポーツは怖い。

 

私は、ラグビーで首をやった選手を生で見ているが、噂では、生涯車椅子だろうと聞いた。そういう話しを聞くと、怖い。

 

格闘技でも、プロテクター無しの方が、絵写りが生える。しかし、それは、金を取って生計とするプロのためのシステムだろう。

 

いや、選手のためのシステムではない。見る側の観客のためのシステムだ。

 

野生が必要だ。蛮性がいると言いながら、怪我はしたくないし、させたくない。

 

そのバランスをどう取るか。それが、日本拳法道のそもそもの成立要因だ。

 

軽量防具・他流試合・安全性。この矛盾する要因をうまくまとめたのが、日本拳法道だと思っている。

 

この動画、どちらも総合系の空手流流派同士の闘いだが、80k台と60k台の闘いである。普通に無茶がある。

 

しかし、それを承知で闘う。プロテクターがあるから成立するとも言えるが、武士道の本義のために闘っているとも言える。

 

骨を削り、肉を潰し、体重を浴びせかけ、自分の野生を、蛮性を蘇らせ、咆哮し、終われば、みな、にこやかに語り合う。

 

しかも、流派が違うのだ。これを理想と言わずに、何を理想と言おう。

 

風門祭は、いずれ、日本の歴史を変える。馬鹿がと言われることを承知の上で、私は確信している。