風門館徒然。「明日輝くために・55歳の挑戦」Ⅰ。田川郡福智町武道館。9月20日。
https://www.youtube.com/watch?v=qmRdgBF0zhg&t=64s
既に11月。風門祭が近い。風門に取っての一大イベントである。
草深い、片田舎のミニ大会だから、存在していること自体が知られていない。
しかし、そこには、男たちの物語があり、熱い汗が流れる日である。
今回、私の注目は、仁駈丸氏と千木丸氏のマスク付きボクシングルール対決。
ちなみに、試合では無い。しかし、打ち抜きありで闘う。
風門館では、一般で言う組手のことを「鍛錬手合」と呼んでいる。文字通り、鍛錬のために行うので、そう呼ぶ。
寸止めのレベル1~レベル7まで設定している。
そのうち、レベル3は、防具着用で、打撃のみのガチコンタクト。
防具があるからと言って甘い内容ではない。特に面はいいのをもらうとダウンする。
風門館では、このレベル3経験者にしか日本拳法道の茶帯は渡さない。概ね、この段階でやめていく。(ちなみに、福光流の希望者は形稽古のみで允可する。)
仁駈丸氏は、空手・柔道・福光流・合気術・ボクシングの経験があり、古術と柔道は初段を取っている。本来は、投げと寝技ができる。現在55歳。
対する千木丸氏は、子供の頃、空手の経験があるとのことだが、やはり、黒帯まではいってないとのことだった。昨年末46歳で、入門。今年47歳で、日本拳法道5級を允可。
なぜ、二人は、コートで闘うのか。その理由を私は知らない。それぞれに、長い人生の中で、「忘れ物」があるんだろうと思う。私の勝手な推測だが。
人は、生まれ、やがて死んでいく。その長い一生の中で、どうしても、忘れられない、「忘れ物」がコートの上にあるのだとしたら、それを拾いに行くべきだと思う。
無論、安全具をつけていても、何が起こるか分からないのが武道の立ち会いだ。
リスクを取りに行く。強制では無く。自分の気持ちで、忘れ物があるなら、それを敢えて取りに行く。どちらも、年齢的に、フルガチスパーを先行きずっとできる訳ではないし、また、させない。
仁駈丸氏にとっては、これが最後かも知れない。足が不自由で、蹴りは出せない。フットワークも効かない。それでも、拾いたい何かがあるから、コートに上がる。
千木丸氏にとっても理由は別にしても、やはり、忘れ物があるのだろう。
風門祭は、勝敗だけを競い合う競技大会とは、趣が違う。
それぞれの理由で、男達が闘うが、その磁場が、「大和心復興・士道精神涵養」を生む。
肉体言語としての、男たちの主張を、風門は記録に残す。結果だけを気にする人は、他の場所でやればいい。
風門祭は、勝敗を越えた、「何か」に価値を見いだす武者達の集まる場である。
音魂によって、大気を払い、場を清浄にする。全くの祭りなのである。
純粋な男たちの荒振る波動で、天神地祇が活性化する。そのための、ぶつかり合いであり、武舞なのでる。
今時、流行らない考え方だが、私は、流行を追うために武道をやっているわけでは無い。自分のやりたいことをやる。そのための風門祭であり、
同じ志を持つ者を探すために、日々、デジタルな手紙をこうやって書いている。