日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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男たちの風門祭2020。「それぞれの忘れ物を取り戻すために」


風門館徒然。「明日輝くために・55歳の挑戦」Ⅰ。田川郡福智町武道館。9月20日。

 

https://www.youtube.com/watch?v=qmRdgBF0zhg&t=64s

 

既に11月。風門祭が近い。風門に取っての一大イベントである。

草深い、片田舎のミニ大会だから、存在していること自体が知られていない。

しかし、そこには、男たちの物語があり、熱い汗が流れる日である。

 

今回、私の注目は、仁駈丸氏と千木丸氏のマスク付きボクシングルール対決。

ちなみに、試合では無い。しかし、打ち抜きありで闘う。

 

風門館では、一般で言う組手のことを「鍛錬手合」と呼んでいる。文字通り、鍛錬のために行うので、そう呼ぶ。

 

寸止めのレベル1~レベル7まで設定している。

 

そのうち、レベル3は、防具着用で、打撃のみのガチコンタクト。

 

防具があるからと言って甘い内容ではない。特に面はいいのをもらうとダウンする。

 

風門館では、このレベル3経験者にしか日本拳法道の茶帯は渡さない。概ね、この段階でやめていく。(ちなみに、福光流の希望者は形稽古のみで允可する。)

 

仁駈丸氏は、空手・柔道・福光流・合気術・ボクシングの経験があり、古術と柔道は初段を取っている。本来は、投げと寝技ができる。現在55歳。

 

対する千木丸氏は、子供の頃、空手の経験があるとのことだが、やはり、黒帯まではいってないとのことだった。昨年末46歳で、入門。今年47歳で、日本拳法道5級を允可。

 

なぜ、二人は、コートで闘うのか。その理由を私は知らない。それぞれに、長い人生の中で、「忘れ物」があるんだろうと思う。私の勝手な推測だが。

 

人は、生まれ、やがて死んでいく。その長い一生の中で、どうしても、忘れられない、「忘れ物」がコートの上にあるのだとしたら、それを拾いに行くべきだと思う。

 

無論、安全具をつけていても、何が起こるか分からないのが武道の立ち会いだ。

 

リスクを取りに行く。強制では無く。自分の気持ちで、忘れ物があるなら、それを敢えて取りに行く。どちらも、年齢的に、フルガチスパーを先行きずっとできる訳ではないし、また、させない。

 

仁駈丸氏にとっては、これが最後かも知れない。足が不自由で、蹴りは出せない。フットワークも効かない。それでも、拾いたい何かがあるから、コートに上がる。

 

千木丸氏にとっても理由は別にしても、やはり、忘れ物があるのだろう。

 

風門祭は、勝敗だけを競い合う競技大会とは、趣が違う。

 

それぞれの理由で、男達が闘うが、その磁場が、「大和心復興・士道精神涵養」を生む。

 

肉体言語としての、男たちの主張を、風門は記録に残す。結果だけを気にする人は、他の場所でやればいい。

 

風門祭は、勝敗を越えた、「何か」に価値を見いだす武者達の集まる場である。

 

音魂によって、大気を払い、場を清浄にする。全くの祭りなのである。

 

純粋な男たちの荒振る波動で、天神地祇が活性化する。そのための、ぶつかり合いであり、武舞なのでる。

 

今時、流行らない考え方だが、私は、流行を追うために武道をやっているわけでは無い。自分のやりたいことをやる。そのための風門祭であり、

 

同じ志を持つ者を探すために、日々、デジタルな手紙をこうやって書いている。