日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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第6回風門祭:雑感。2020・11・3

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総合格闘空手唐武会熊本道場代表 畑本起己雄 
風門祭の魅力を一言でいえばタイムスリップ気分を味わえるということになるかと思います。
試合をしますので、当然勝ち負けはつきものです。ですが、それを越えた同志的団結の力を感じます。我が國日本は誇るべき武道の文化があります。武道が隆盛を誇った古き世の他流試合とは流派間のいがみ合いではなく、互いの切磋琢磨のための手段であったといいます。令和の世にあり、風門祭はまさに古き世の切磋琢磨の手段を甦らせたのではないかと小生は、愚考いたします。

 

第6回風門祭のパンフレットが、粗方、出来た。本日、試し刷りをしてみた。目が悪いので、いつも誤変換だらけで、自分でも嫌になる。が、そういう事情を知った人が多いので、過去、クレームは出てない。感謝するばかりである。

 

しかし、それに甘えているわけでは無い。特に、参加選手の名前や団体名には、注意して、推敲しているのだが、それでも、やらかす。今年は、それがないよう、早めに試し刷りをして、門中にも確認してもらおうと思っている。

 

しかし、6回もよく続いたなと思う。特に、今年は、コロナで、日本拳法道格闘フェスタも中止。風門祭も無理だろうと思っていた。

 

しかし、公共機関、特に学校が、あっている以上、我々もそれに合わせると言うのが、風門の基本スタンスである。リスクはある。しかし、窓を空け放し、少人数で、やるから、3密にはならない。感染をなめてはいないが、ならば、普通の稽古も出来なくな

る。

 

そうやって、何も動かなければ、経済が死ぬ。そのリスクも怖い。景気は、気だ。コロナを恐れつつも、人が動かなければ、経済が死ぬ。特に、地方経済は、サービス業で持っている。

 

そういう時に、侍が行動を起こすべきではないか?私は、そう考えている。風門祭のごときは、世の中に、何の影響も与えないだろう。しかし、バタフライ効果を私は、信じているし、それ故に、風門を31年の長きに渡って、運営してきた。

 

行動しなければ何も生まれない。それが、風門の哲学で有り、指針だ。集団免疫が出来ているのではないか?それも、風門祭を決行する理由の一つである。毎日のように致死率を計算し、医学の専門家の意見をネットで収集し、最後は、生活する中での皮膚感覚として、そう思うように至った。

 

開いて、万が一の際には、叩かれるだろう。だが、行動する価値と意義はあると思っている。

 

風門祭は、私の理想だ。「大和心復興・士道精神涵養の場とする。」

 

この私の理想に、多くの他流派の侍たちが、共感し、激闘し、爽やかに交流する。今年は、演武の時間も多く取っているので、また、一歩、私の理想に近づいてきた。

 

特に、ボビナムが参戦し、かつ、演武も行う。私は、ムエタイのワイクーとかも好きだ。グローバリズムと言う、世界を画一化する他文化強制では無く、世界の民族文化が、それぞれの土地で、在り、かつ、交流する。そういう国際交流なら大歓迎である。

 

日本拳法道連盟木立門下に、入門し、来年で、32年か?アマチュアで安全に他流試合が出来る日本拳法道に魅せられて、ここまで来てしまった。

 

「他流試合即修行」。風門にとって他流試合は、あくまでも「行」である。勝敗より、何本取ったかを重視する。

 

もとより、市井に暮らす凡夫の集まりであり、週1回2時間の稽古が精一杯の人間の集まりである。そういう人間が、見も知らぬ他流派と相まみえるのである。それだけで、十分価値があると思う。

 

一旦コートに上がったら、禁じ手の少ないルールで、蛮声を上げながら、フルガチで闘い、終われば、爽やかに交流する。

 

ルールは、ほぼ何でもありの防具式MMA。だが、防具のおかげでやはり、怪我は少な

い。しかも、他武道・他流派とガチで闘える。

 

こんな素晴らしい日本拳法道ルールがなぜ流行らないのか?当事者の私には分からな

い。

 

それでもいい、風門祭で出会い、流派の垣根を越え、日本武士道をともに考え実践する同士達と、終わってから食べて、飲んで、盛り上がる。

 

これは、「直会」である。風門祭は、天神地祇の後押しを受けている。まだ、いるはずだ、我々と価値観を共有する人たちは。

 

そういう人たちを探すために、私は、「魂触れ」を続ける。冒頭の唐武会熊本道場代表、畑本先生の一文を読んでいただければ、風門祭とは何かが分かるだろう。