日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門之儀2020。「在りし日の思い出のために」 田川郡福智町武道館。10月18日。


風門之儀2020 「在りし日の思い出のために」 田川郡福智町武道館。10月4日。

 

https://www.youtube.com/watch?v=PX91w5T2DZo&feature=youtu.be

 

令和2年10月18日。日曜日。午前の部。晴れ。田川郡福智町武道館。

行者:木霊丸氏・千手丸氏・千木丸氏。B氏。顧問 雷電雷電代表。

稽古内容。体術総合。

豊前福光派古術素手第三法組討 

1本目:腰車、2本目:鉢返、3本目:鉢落、4本目:前落。

サンドバック打ち込み稽古。30秒×5セット。受け返し5種×10回

鍛錬手合L2 2分2R

鍛錬手合L3 1分1R

千手丸氏累計:26R

 

稽古は、順調。11月22日の風門祭へ向けて、準備が進んでいる。本日は、タフス道場からM先生と初出場のK氏、来訪。

 

少年部・一般部のルール説明などこまかい打ち合わせを行った。

 

その間、行者は、木霊丸氏と千手丸氏にまかせ、組討の稽古。こういう時、黒帯指導員が二人いるのは助かる。

 

後半は、逆に、千手丸氏がボビナムへ出場するので、その打ち合わせ。私が指導に当たり、サンドバック・受け返しと当て身の稽古。

 

ラストは、鍛錬手合L1で、木霊丸氏とB氏。

L2で、千手丸氏・千木丸氏・雷電師範が、2分2R

 

ラスト。いきなりだったが、60秒間。千手丸氏と千木丸氏による、鍛錬手合L3。

 

このL3は、茶帯の条件。立ち技のみだが、防具付きで、ガチコンタクトをする。これが、できるようになった者というか、そこまで続いた者だけに、茶帯が許される。

 

日本拳法道連盟の昇級・昇段審査は、特に厳しいものではない。普通に、週1回稽古に来れば、誰でも初段は取れる。

 

しかし、私が、あまりにも、安心・安全を強調するので、自分の規準で考えて、たかをくくって稽古する者は、残念ながら、ふるい落とされていく。これは、いた仕方の無いことだ。

 

安心・安全と言うのは、あくまでも、他の激しい武道・格闘技に比べれば緩いよと言ってるのであって、まったく痛い思いもせず、茶帯や黒帯になれる訳がない。

 

私は、これでも、真武館体重別全日本の経験者である。日本拳法道・硬式空手・グローブ空手・アマKBで、公式戦44戦。道場デスマッチ数知れず。そういう経験の元、日本拳法道の段・級は、緩いと言ってるのであって、鼻歌まじりのキャッチボール気分で、黒帯になれるとは言ったことはない。

 

組手が怖い者は、それでいいのだが、その代わり、福光流の段・級しか取れないと言うことを認識してもらわなければならない。その、勘違いさえなければ、私としては、どちらを選んでもらってもけっこうなのである。

 

千木丸氏。47歳。来年春には、茶帯昇級間違い無しだ。ただ、そのためには、L3での稽古を経験しなければならない。マスクがあるからと言って、面打ち抜きになるとえぐいものがある。それを耐え抜いた人間に、その汗と涙の結晶を讃え、茶帯が許可される。それが、男の誇りにつながる。

 

B氏も、来年春には、5・6級を受ける。55歳だから、L1で良い。それでも、打撃経験がないので、ガチガチになっているが、リラックスと口で言っても、できるものではない。最後は、慣れである。

 

最近、年輩者の入門が多い。怪我をさせず。無理なく、無駄なく、いかに、動けるようになるか?

 

私の頭は、高速回転している。そこも指導の楽しさではないだろうか。

 

さて、話しは変わって、動画について。10月4日に撮った物だが、それ以降も、色々なことがあっている。

 

プライバシーに関わることなので、全ては書けないが、秋月流の宮崎宗範とは、日本拳法道と硬式空手で二度闘った。私に、防具でも悲惨な事故は起こると言うのを教えてくれた人である。現在57歳。

 

仁駈丸氏は足が悪い。古術の古い門人だが、現在は、ボクシングをやり、動ける間は、出来る稽古をするという、その姿勢に私も学んでいる。現在55歳。

 

人間、半世紀も生きれば、それぞれにストーリーがある。私は、そのストーリーの幾分かを知っているから、こういう動画に感情移入する。

 

NHK風に、誰かが、「ドキュメント風門館」と言うのを作って欲しいと思う。

 

私は、強い・弱いでしか、話の出来ない人を見ると覚めた気分になる。お前が、弱いからだろうと言われれば、それまでだが、武道・格闘技で、強いだの弱いだの言い合っても、世間の大多数は、無関心だ。

 

その世界のみで通じる規準であって、一歩外に出れば、大多数は無名の人間でしか無い。

 

学歴でマウントを取る人間と大差ない。

 

勝ち負け・強い・弱いも、あっていいと思う。しかし、ひたむきさな美しさにひかれる世界もあっていい。

 

それぞれの、人生。それぞれの、運不運。栄光・挫折。そういうものを背負いながら、半世紀を生き、まだ、拳を交えて、会話している。

 

それを美しいと思う。そういう感性を私は持ち続けたい。