今年の神幸祭では、我が家的には、うれしいことがあった。この曳き山の飾りの部分を、当地ではバレン(破簾を当てるのか?)と呼ぶが、この芯は、真竹で作る。その真竹を今年は、私の家のを奉納することが出来た。
これも、ひとえに、祖先が、いくばくかの土地を残してくれたから出来ることである。
九州豊前香春貴船神社は、字福光にある。残念ながら現在は、字名を公称できなくなっているが、家の前にある神社を尊崇するのは、当然だろう。
福光党は、明治中期に落剥してから、既に4代。
私の代で、経済的には、並みに戻したが、失った土地を取り戻すところまでは来ていない。
その代わり、学問で生計をたてる道を選び、私の長男・次男とも専門職に就けた。
祖霊を祀り、祖霊の威徳のおかげで、我が家の真竹林の竹で、神祭りに奉納できる。ありがたいことである。
自給自足とか。言えるのも、わずかばかりでも祖先が、いくばくかの土地を残してくれたからである。
そのことに、ほんとに感謝している。
祖霊を祀り、神に捧げる家風を残したい。
その精神を、福光党の宝である、芸法伝承を拒否した二人の息子にせめて伝えたい。それが、家風である。
ちなみに、このバレン。最後は屋根などに放り上げる。魔除けで有り、五穀豊穣・天下泰平・家内安全・病気平癒を祈願するものだと思うが、特にそういう謂われは伝わっていない。
にも関わらず、祭りは続く。そういう日本の田舎の土着の文化が、日本の強さだと思う。