https://www.youtube.com/watch?v=4sQi7ke8gOo&t=777s
平成31年(2019年)4月14日、江戸時代から伝わる「鞍馬流棒術」の最後の奉納が、大分市吉野大字宮尾の高尾神社で、春祭り神事の後とり行われた。過疎と後継者不足で、引き継がれてきた伝統が、伝説になるときがきてしまった。
残念でならない。こうして、江戸期、農山村に伝承された<民俗武芸>が、また一つ姿を消す。
このネットの時代。世の中には、マニアックで、異常に詳しい人がいる反面、一般的には、江戸期、農山村に武芸が存在していたというと信じない人間が多数いるのも事実だ。
私の引き継いでいる福光流などは、村落共同体で受け継いだ芸法でもないため、いよいよ、捏造流儀として名を馳せ、今や、日本五大捏造流儀にまで、昇格してしまった。
しかし、福光流の捏造疑惑は、それは、当然だろうと思っているので、当方としては、さほど、腹立たしい訳ではないが、福光流を否定する際に、<江戸期、百姓が武芸などするはずがない。>という言葉には、異論があって、こうやって、日本各地に残っている<民俗武芸>の動画を収集している。
今や、九州では、貴重なだけに、惜しまれてならない。私は、動画を採集するだけだが、九州では、この鞍馬流が、一番芸法色を残していると感じる。
名は体を表すという。棒踊り・杖楽・棒術とあれば、やはり、その通り、芸法からの距離が窺われる。
鞍馬流は、棒術を名乗るだけあって、私が見た限りでは、九州内では、最も芸法色が濃いかった。
この流儀もこれで、途絶えるのかと思うと、残念でならない。
ブラジリアン柔術が流行る昨今。日本の貴重な江戸期、農山村の民俗文化が消え果てていく。
流行と言うのは、凄まじいものだと思う反面。なんとかならないのだろうかと余所者ながら願いは消えない。
江戸期、日本人の八割は、百姓であった。現在、日本武道の有段者にして、私が、江戸期の<民俗武芸>について、語ると。あり得ないという人間が多数であった現実がある。
士族でもない、平民の末孫が、己の祖先の遺風を否定する。そのことに腹を立て、<民俗武芸>の動画を採集し、世間に紹介するようになった。
それも、やがては、蟷螂の斧と終わるかも知れないが、動画に痕跡が残り、わずかでも、百姓の末が、我ら祖先の遺風を知れば、また、良きかなと思っている。