https://www.youtube.com/watch?v=xd_UtAq_Vlw&t=82s
この動画を見つけたときは、びっくりした。薙鎌とか、うちだけかと思っていたら、やはり、日本各地に残ってるではないか。しかも、名前が同じ、薙鎌。そのうち、うちのほうがパクリと言われるだろうが、びっくりした。
今から20年くらい前、私が、45歳蔵の頃から、福光流の話しを人にし出した。うちのような流儀が世に出ると、必ず捏造流儀として叩かれるので、最初は、日本拳法道の私の門人のみに限って話しをしたのだが、木霊丸氏以外は、揃って、否定的な見解を述べられたので、話しを聞いてくれる人にだけ、手業の概略を話したものだ。
しかし、私自身は、江戸期の百姓の護身としては、薙鎌が、最も有効で有り、むしろ、なんで、この薙鎌が残ってないのか不思議でならなかった。
江戸期、百姓が日常的に6尺棒を持って歩く方が、よほど目立つ。護身で肝要なのは、目立たないことだ。
その点、薙鎌は、山の下草などを刈るのに日常的な農具だから、これを持っていて、怪しまれることはない。
しかも、鎌は、叩く、撃つ、鈍器として斬るの他に、引っかけると言うことが出来る。この引っかけると言うのが、鎌の妙味である。
尾張の棒の手や、不遷流の八重鎌。甲賀流の長柄鎌と、意外と最近、目にするようになってきた。
まだまだ、これからも、他の流儀が、登場するかも知れない。楽しみだ。