日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門館徒然。馬乗り返し。田川郡福智町武道館。2021・7・11

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https://www.youtube.com/watch?v=yRSi-t3jgaA

 

令和3年7月11日。日曜日。午前の部。快晴。田川郡福智町武道館。

 

行者:千手丸氏・常磐丸氏・千木丸氏・T氏。

 

稽古内容:体術総合

 

風門館護身体術:馬乗り返し4種。外絡み・内絡み・両絡み・腹絡み

風門館護身体術:膝返し表裏 十文字内回矢倉返・十文字外回横車

 

当身:着胴打ち込み稽古6種

鍛錬手合 レベル1・5 1分3R

サンドバッグ 30秒×3R

 

本日から、千手丸氏が復帰。まだ、当分仕事が多忙で、月1・2ペースになりそうとのことだったが、それでも、稽古に復帰できて良かった。

 

民間企業も、コロナのせいで、昨年度は大赤字。今年稼ぎ出さないと会社の存続に関わるというのはどこも同じ状況だと思う。飲食・旅行関係などのサービス産業に至っては、惨憺たる状況であるから、まずは、稽古に来られているという状況をありがたいと思わねばならない。

 

さて、本日の稽古内容について。

風門館では、同じ手業は、三度繰り返して稽古するのを習わしとしている。これは、当然、一度や二度では、新しい動きは覚えることが出来ないからだ。

 

ならば、毎回すれば良いだろうと言う意見も出るだろうが、日本拳法道ルールは、アマチュアの総合系としては、空道並みに技の自由度が高い。

 

それへの対処を、週一回二時間でやろうとすると優先課題が多すぎて、普段、寝技まで手が回らないというのが実情だ。しかも、その3回のうち、毎回出席するものは数少ないから、ここらへんが指導をする上で頭を悩ませるところである。

 

しかし、同じ手業は3度しかしないが、そのうち、また3度するるわけであるから、何年も稽古に通ってくるとやはり、亀の甲より年の功ということになる。

 

また、風門館護身対術と言うのは、日本拳法道ルールや路上の護身術として必要な技であり、かつ、日本拳法道や福光流本来の形からは、アレンジしすぎて、区別した方が良いだろうという技法群をそう呼んでいる。

 

私の学んだ空手由来のもの。交流のある他流から学んだもの。ユーチューブでパクッタもの。それらを、日本拳法道と福光流をベースに風門が使いやすいようにアレンジして、実用に耐えると判断したものをそう区分けしている。これが、なかなか他流試合では威力を発揮するので、32年に渡る風門館の他流試合の成果と言えるだろう。まさに、我々が、汗と緊張・恐怖で勝ち取った宝物でもある。

 

そういう新しい技・未知の技の研究・工夫が出来るのが、日本拳法乱取り競技法の良いところだと思う。

 

後半は、当て身。二回目の着胴蹴り込み稽古。6種くらいやったが、先週に比べるとやはり、格段にうまくなっていた。

 

空手出身のT氏の蹴りがうまく、それに比して、常磐丸氏の蹴足があまりに無惨だったので、けっこう、頭に来ていたが、稽古の前に、ネチネチと小言をいったせいか、今日は見違えるようにうまくなっていた。

 

あれで、二段は無いと思っていたが、今日の蹴足なら、この調子で行けば、二段もいいだろうと感じた。

 

そのまま、無理の無い軽い目慣らしスパー1分3R・最後はサンドバッグの「打ち込みで終了。

 

本日が、コロナ明けで、もう三週目。月日のたつのは早い。福岡武道館がどうなるのか分からないが、風門祭は、今年は、12月上旬で行う予定にしている。

 

佐賀の唐武会も一般が増えたそうなので、今年は、16才以上有級之部(立ち技のみ)をメインとする第7回風門祭を敢行する予定である。

 

オリンピックがあって、風門祭は無いと言うのはあり得ない。風門祭へ向け、ゆっくりと進んでいく予定である。

 

 

 

 

 

 

 

風流記。エピソード2。なぜ、風門館は形稽古中心なのか?私の挫折体験より。

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https://www.youtube.com/watch?v=LD9_pXEcQvk 

 

風門館は、形稽古中心で稽古をしている。そういうと古流の人からは、それは形稽古では無いというおしかりを受けるだろうが、それを承知の上で言わせてもらえれば、そもそも、流儀の違う武道の用語に、何をもって正解とするのだろうという疑問を常々持っている。

 

風門の形稽古とは、技の受け返し稽古であるから、それを形とは言わないという主張は知っているが、だから?と言う気分になる。

 

術理に関する用語・理念・理合・芸法が違うから、一つの流儀を形成しているのではないだろうか?

 

多様性が叫ばれる昨今。その割には、他流儀が風門へ自分の価値観を押しつけてくることに反発を覚える。

 

相撲48手という。それと同じで、日本拳法道ルールで、他流試合をするために必要な手業の稽古を受け返しで学ぶ風門スタイルを、我々は形稽古と呼んでいる。

 

それは、形稽古では無いと言われても、当方としては、ああ。そうですか。としか言いようが無い。

 

それが、当方の文化で有り、縁もゆかりもない他流の人から、おしかりコメントをもらっても、多様性ですからとしか答えようがない。

 

と、前置きが長くなったが、要するに風門では、<形稽古=手業の練り稽古>を中心と行い、鍛錬手合=スパーリングは、極力負担のないように工夫している。

 

そういう稽古体系でもって、日本拳法道ルールによる他流試合を行い、そこそこの実績を残しているので、我々としては、現在の稽古体系に不備を感じない。

 

もちろん、プロになりたいとか、アマでも、テッペンを取りたいとか言う人には、週一回2時間の風門の稽古体系では、不満を感じるだろうが、そもそも、そういう人に入ってくれとか頼んだ覚えはないし、また、本気でそういう世界を目指している人がうちに来るはずがない。(もちろん、来たら、歓迎します。)

 

我々、風門が、対象にしているのは、多忙な社会人でかつ、週1回2時間の稽古が精一杯と言う人で、その上で護身術なり武道を学びたいと言う人なのだ。

 

この修練体系に至ったのも、私の数々の武道遍歴による挫折が大きく関わっている。

 

続く。

 

動画説明:豊前福光派古術:掛け投げの稽古風景。

 

風門館は、組討(投げ技)・掻取(寝技)のベースは、福光流を使っている。それをアレンジしながら、32年に渡って、日本拳法道ルールによる他流試合を繰り広げ、週一回2時間の割には、柔道の二段・三段クラスや、最近ではブラジリアンの青帯クラスともそこそこの闘いを演じている。

 

乱取り中心の競技武道や格闘技の人からすると信じ難いであろうが、それが、事実であることは、風門と立ち会った多くの他流の人が証言するだろう。

風流記。エピソード1。何故?風門館は1レッスン制(700円)を取るのか?

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https://www.youtube.com/watch?v=OsSJukunjdA

 

これも、私の体験から来ている。

 

私が、木立先生の門下に入ったのは、1989年4月。ちょうど31歳になったばかりの時であった。

 

その頃、既に、沖縄小林流のM先生の門下で有り、同時に合気会のS先生の門人でもあった。

 

その年、私の社会人・人生の中で、最も暇というか。6時には、仕事場を出られるという奇跡の一年間であった。

 

だから、その年が、人生の中で、一番稽古したと言える。木立先生の門下に入る前に既に、その年の第四回日本拳法道福岡武道館(第4回セイフティ格闘技選手権)に出るつもりであった私は、空手仲間やら、知り合いの中学生・高校生(剣道・柔道・ボクシング部などの現役選手)を集めて、既に同好会を作っており、日本拳法道ルールでの乱取りをバンバンやっていた。

 

その年、一年間は、自分の指導する同好会が週1・木立先生の指導を受ける日が週1日。空手が週2・合気道が週1.5日練習して、後の二日は、ウエイトをやっていた。

 

しかし、そういう奇跡の一年間が、永遠に続くようならサラリーマンに悩みはないだろが、そうはならないのが、現実である。翌年からは、またしても、仕事ハードな日々に舞い戻った。

 

当時空手が、月4000円。合気道が3000円。日本拳法道が3000円で、月1万道場代に払っていた。

 

しかし、好きなことをやっているわけであるから、月1万と言うのは、高いとかは思ったことがない。

 

ただし、それは、稽古に行けていればと言うことであって、仕事がえぐいときはどうしても、どこかを削らなければならない。

 

だが、月謝制だとその月に一度も出席していなくても、翌月は、2ヶ月分払わなくてはならない。稽古に通っているときは、負担を感じないのだが、一月休んで、翌月に二月分だとものすごく負担に感じた。

 

特に、空手は、月4000円だったから、一月休むと月に8000円の支払いになる。

 

これが、二月休むと、1月の月謝が12000円となる。週2回・一日1時間の稽古で、12000円は痛かった。しかも、平日は6時から7時だったので、まず行けることがほぼない。

 

そうするとどうなるかというと、結果として、3ヶ月ほど休部させて欲しいと言う話になって、稽古が進まないという現実が生まれてしまう。

 

1989年10月。第4回大会無差別級でどこかの空手の黒帯を撃破し、1回戦突破したのを契機に、既に起ち上げていた同好会を、正式に日本拳法道田川同好会として、木立先生の直属の元、私が代稽古をするという形にした。

 

それが、現在の風門館の始まりである。

 

その際に、それまで、無料で運営していたのを、100円でもいいから金を取るようにと言われ、場所代や防具代・ミット代に当てるために、少年も一般も一律500円で、稽古とした。

 

以来、32年間。風門館は、1レッスン制に拘って運営している。現在は、人数が少ないため一人700円もらっているが、場所代込みであるから、私の指導料は500円である。

 

来たとき払いのこの500円を高いと思うか、安いと思うか。たかが1コインだが、そこには、ある種の緊張感が生まれる。

 

もらう側からすれば、たいした額でもないが、払う側からすれば、場所代込みの700円は、月4回来れば、2800円となり、田舎の空手道場の値段とさほど変わらない値段となる。

 

私の芸力・指導力・道場運営力に、1コインを払う価値があるのかどうか?それを決めるのは門人だから、そこが、私と門人との勝負と言うことになる。

 

かって、木立先生が、ただは絶対駄目だ。100円でもいいから金を取れと言った意味が分かるようになるまでには、かなり時間がかかったが。

 

金を取るというのは、教える側に責任が生まれると言うことだ。1コインであろうとその1コインに相当する満足を与えられなければ、門人は去って行く。

 

そのために、私も常に技の研究を怠らない。

 

さて、話しが余談になったが、風門の1レッスン制は、忙しい社会人がいつ来てもいい。いつでも、来られる環境にするために考えられたシステムだ。

 

私は、常に、かっての私のような人間、つまり、一般人ほどの体力も無いのに、武道が好きで、しかし、仕事でいっぱいいっぱいと言う人を対象に風門を運営している。

 

それが、常に、風門の原点なのである。

 

続く。・・・ほんとに続くのかな?と考えつつ。2021・7・10

 

冒頭動画の説明:画面では1991年となっているが、設定ミスで、1990年11月に撮影したもの。

 

第5回日本拳法道福岡武道館(第5回セイフティ格闘技選手権)2回戦の様子。カンターで胴突き1P・直蹴り1P。カウンターが得意だった。勝っている方が私。この頃は伝統派的な動きをしており、場慣れしてないのがよく分かる。32歳。二度目の大会であったが、元々が形稽古の出身なので、競技武道に出るのが怖くて仕方の無かった頃である。

 

この当時は、体重無差別で30人規模の大会だった。トーナメント表の一番左が、体重最軽量で、体重別に右へと並び、一番右端が体重最重量。よくできたトーナメントだった。

 

ただし、勝ち上がると90K台の重量級と闘うはめになるので、防具付きでもけっこう事故が起き、緊張する大会だった。

 

この年、3回戦まで進出し、ベスト8・敢闘賞を頂き、二段に昇進した。

 

防具も、模索中で有り、アルファ面・スーパーセイフ面・日本拳法の鉄面も許されており、全てがアバウトだった。大会がオープントーナメントであったため、ほぼ、前面他流試合というなかなか危ない闘いが多かった。

 

特に、相手の選手より、どすの効いた声のセコンドが怖かったですわ。

 

風流記。プロロ-グ なぜ。私は風門に至ったのか?

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https://www.youtube.com/watch?v=QQxZrS3Tp5w 

 

風門館は、私の理想の実現である。現在の風門館のあり方に、私自身は満足しているし、私にとっては、この姿が正解なのである。

 

現在の風門館に至るまでには、長い道のりがあった。半世紀を越える私の様々な武道体験や、そこにおける挫折・成功・不満・欲求などの上に、私の求める武道・こういう道場であって欲しいという私自身の願望や、門人達の求めるものなどに答えながら紆余曲折を経て、現在の形になった。

 

常に人数集めに四苦八苦していると言う悩みはあるが、逆に言えば、悩みはそれだけである。後は、ネットでの宣伝を通して、私の理念に賛同してくれる人を待つしかないと思い定めている。

 

それで、集まらなければ、私のような人間は、世の中には案外と少ないのだと諦めるしかないだろう。

 

いつも、連載の形式で初めては、途中で断念するのだが、今回は、気長に、なぜ、風門は、こういうスタイルを取っているのかと言う説明を私の体験を交えながら書き綴ってゆきたい。

 

道場でも、門人には話すのだが、週一回二時間では、話しが長すぎると稽古時間が取れなくなるので、まとまった話しができない。

 

最近、新しい人も増えてきたので、私の半生を振り返りながら、何故。私は風門に至ったのかと言う話しを書き留めたい。

 

それが、即ち、風門の求めるところで有り、目指すところであるから、それを理解した上で稽古してもらった方が、お互いにストレスなく稽古できるのでは無いかと思う。

 

続く。

 

 

風門館。8月の稽古日程。

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風門館。8月の稽古日程。

 

田川郡:福智町武道館。毎週。日曜日。10:00~12:00。

 

8月1日・8日・22日・29日。予約済み。

 

15日は、盆休み。各自・祖霊供養・地域行事・家庭サービスなどに専念すること。

 

BreakingDown 全試合公開。

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https://www.youtube.com/watch?v=TrO3HHzeIj0

 

BreakingDown:主なルール。

 

1R1分。延長30秒。寝技10秒。オープンフィンガーだが、アマチュアのは、12オンスくらいなのか、そこそこ、厚く見える。

 

顔面への肘・膝なし。プロでも、3試合以下の経歴なら出れるらしい。

 

私は、ケージの試合は、昔の剣闘士による凄惨な殺し合い・見世物を連想するので、あまり、賛成できなかったが、実戦では、壁や塀に押し込まれると言うことは、現代の日本では、むしろ普通の状況かも知れないから、ケージの試合も有りかなと思うようになった。

 

最も、アマでも、TOPレベルの試合ではと言うことになるが。

 

しかし、さすが、ストリートファイトの修羅場をかいくぐり、かつ、プロとしても、TOPに上り詰めた、朝倉選手ならではの発想なんだと思うと、このルールのリアリティが増す。

 

これが、流行ると、空道・アマシューティングと並ぶ、日本三大武道・武術・格闘技のテッペン・タイトルになることは間違いないだろう。

 

日本拳法道ルールは、母体である日本拳法と空道の中間点のようなルールだが、この

<BreakingDown>にも、かなり近い。特に寝技10秒と言うのが、我々としては、近似値を感じる。

 

風門は、<大人のための護身教室>と銘を打って活動しているが、若い人や少年を拒否しているわけではない。単に、入ってこないというだけだ。

 

日本拳法道のレベルが上がって、いつか、こういう試合に出る選手を育ててみたい。あるいは、関係者としてセコンドにつきたい。

 

そう思うだけでも夢が広がる。

 

そう、夢が大事なのだ。空道が、国体競技になるかも知れないという話しも聞いている。我々、風門館に取って、空道はレベル7である。アマチュアとしては最高峰だと思っている。

 

ただし、一般社会人のための護身・競技と考えるとやはり、胴有りの日本拳法道ルールの方が、より裾野は広くなると思っている。

 

かって、私が、真武館の全日本に出た頃は、東の北斗旗・西の真武館と呼ばれていた。

 

我々のような凡夫にとって、真武館の全日本に出ることは、ある意味究極だった。

 

風門館のレベル7とは、かっての真武館や北斗旗ルールを想定している。

 

レベル5である日本拳法道ルールから始まって、レベル6である、グローブ空手やアマキックを経験して、レベル7である北斗旗やアマシューティング。

そして、この<BreakingDown>

 

そういう階段を踏んでプロになるものがいたら、我々の誉れであろう。

 

現在は、レベル5である日本拳法道福岡武道館に選手を送るのさえ、ぎりぎりの現状だが、私程度でも、真武館の全日本まで至った。

 

だから、出るだけ・出ても怪我をせずに無事帰還することだけなら不可能ではないと断言できる。

 

菊野先生を始め、朝倉選手など、TOPの人たちが場を設定してくれる。そういう夢の場があるから、我々のような凡夫も夢を見ることが出来る。

 

その夢を見ることが、明日の稽古へ向かわせる力となるのもこの世のリアルなのである。

 

最後になるが、よく試合直後にユーチューブに公開したなと思う。しかし、その英断が、これからは大切なのでは内だろうか?

 

 

 

 

「アマチュア選手は怪我をしたら日常が壊れる。」武士・菊野談。

 
菊野先生の試合後の感想をそのまま。引用
本日、1分間の総合格闘技Breaking Downに出場して勝利することが出来ました。
2018年11月11日、鹿児島で自主開催した格闘道イベント「敬天愛人」以来の真剣勝負。
試合というのはまさに試されるわけで、
プロ選手は自分の人生に⚪︎×をつけられる。
マチュア選手は怪我をしたら日常が壊れる。
この緊張感は逃げ出したくなるぐらい苦しくて、
でも試合の場でしか試せないことがあって、
表現できないことがあって、
学べないことがあって、
そして試合の後には良くも悪くも違う景色が広がっている。
この新たな世界で、また今ココを積み重ねていきたいと思います。
誰ツヨDOJOyもこどもヒーロー空手教室も益々パワーアップしていきます!
対戦して頂いた野尻選手
大会を開催して頂いた皆様
応援頂いた皆さま
有難う御座いました。
試合前からミットを持って頂き、セコンドをして頂いたルタさん、有難う御座いました。
(ルタさんミットはスネークピットジャパンで持ってもらえます)
写真は僕を10年以上撮り続けてくれている写真家の藤里一郎先生が張りつきで撮ってくれました。有難う御座いました。
ゴンカク記事

  

試合というのはまさに試されるわけで、
プロ選手は自分の人生に⚪︎×をつけられる。
マチュア選手は怪我をしたら日常が壊れる。
この緊張感は逃げ出したくなるぐらい苦しくて、
でも試合の場でしか試せないことがあって、
表現できないことがあって、
学べないことがあって、
そして試合の後には良くも悪くも違う景色が広がっている。
この新たな世界で、また今ココを積み重ねていきたいと思います。
 

 

 菊野先生が、<1分間の総合格闘技Breaking Down>で、体重差45Kを制して、勝利した。

 

その直後の菊野先生の言葉が、我々、アマチュア草の根にとっても、試合の意義と怖さを知る上で、感銘を受けたので、そのまま引用・掲載させてもらった。

 

正直に言うと、過去、私は、格闘技の選手にあまり良い印象を抱いていなかった。何故かと言うと、かなりの頻度で、強さ自慢をする人が多く、我々のような市井に暮らす凡夫に対して上から目線でものを言う人に出くわす機会が多かったからだ。

 

当たり前の話しだが、我々のような草の根アマチュアが、プロ選手に勝てるはずなどないのに、なんか。ぐいぐい。俺様自慢をされてもと言う気分を何度か味わったことがある。

 

例えば、野球で言うと、我々、風門は、甲子園に出ることなど、冗談に過ぎないどころか、部員9人ギリギリ。地方大会に出るのさえ、四苦八苦している田舎の公立高校野球部に等しい。

 

そういう我々に対して、俺様感満載で、俺はプロだとか。どこそこの大会のチャンピオンだとか、ひたすらに自慢されても、いただけない。格闘技や競技武道の選手が、その道でいかに強かろうと、弱者に対しての配慮が出来ない人格ならば、人としては、尊敬できない。

 

ちなみに、全員がそういう人ではないことは言うまでも無い。腰の低い、立派な人が多いのもまた事実であることも付記しておく。

 

ところで、話しは戻るが、一昨年、唐津の唐武会が、菊野先生を招待するという快挙を成し遂げた。講習会を受けた後、宴席で、色々とお話を聞く機会に恵まれたが、腰の低さに驚くとともに、これからの、日本の格闘技界や武道のあり方など、常日頃、我々が、思っていることと同じ事を話されていたので、我々の方向性は間違っていないと言う確信を持つことができた。

 

とにかく、世界を見てきた菊野先生の言葉には、重みがあった。また、プロとして食っていかなければならない、その必死さに、世界を知っている人の迫力が、気持ちよく、ぐいぐい来て。良い思い出となった。

 

私は、巌流島に関心があり、その関係でプロとしての菊野選手を知ったわけだ。そして、ただ、一度食事を共にしただけだが、人格の上でも、プロ。こういう人こそ、理想のサムライだと感じ、以来、沖縄風に、「武士・菊野」と呼ばせてもらっているし、また、勝手に菊野先生と呼ばせてもらっている。

 

今回の大会にも度肝を抜かされた。元力士上がりのプロ格闘家。体重差45Kは、さすがにと思ったが、見事勝利されて、また、一つ菊野先生の伝説が紡がれたと思う。

 

引用中にもあるが、「プロ選手は自分の人生に⚪︎×をつけられる。」

 

重い言葉だと思う。プロとは、職種の種類に関わらず、結果が全てだ。意気込みとか自分の志とかがいくら立派であっても、結果が出せなければ、「×」をつけられる。プロ格闘家が強いのは、生活がかかっているのだから、ある意味当然と言える。

 

まして、菊野先生のように、世界の頂点を見てきた人には、見える世界が違うのは当たり前のことだろう。ヒマラヤを登った人にしか、そこに至る道は分からない。それが、私の持論だ。無論、私は、ヒマラヤはおろか日本アルプスを登ったことすらない。

 

マチュアとして、プロ・アマ混合で戦う、真武館の全日本格闘技選手権に一度出たことがあるので、自分としては、冬の九重山に登ったことはあると言えるのでは無いかと思っている。

 

菊野先生の凄いところは、こうやって勝った後も、

 

「アマチュア選手は怪我をしたら日常が壊れる。」とアマチュアへの配慮を忘れないところにある。

 

どんな競技もそうだが、アマチュアの裾野が広くないとプロ競技は成立し得ない。

 

今後、プロ格闘技が、どういう方向へ進むのか分からないが、残酷さを売り物にする古代ローマの見世物的なショービジネスではなく、野球やサッカーのような、アマチュアがあって、その延長線上に頂点としてプロが君臨している。そういう方向性を我々としては願っている。

 

菊野先生なら、それをかなえてくれるのではないかと今後も期待したい。

 

また、我々、草の根のアマチュアは、ゲームとしての勝ち負け以上に

 

「アマチュア選手は怪我をしたら日常が壊れる。」という重い現実を念頭に置きながら、試し合いで、最低限、いかに無事に帰れるか。そこを重視した稽古をしなければならない。

 

ルールと防具で守られているからと舐めてかかるととんでもない事故が起きる。そして、その事故を目の当たりにすると、威勢の良かった人間が、結局は辞めて行く。

 

マチュアには、アマチュアの厳しさがある。私が、試合に拘るのも、逆説的だが、試合経験の無い者ほど、物事を単純に考え、事故を軽視しがちであるからだ。

 

「試し合い」と言うが、菊野先生の言うように、「試される場」でもある。

 

また、

でも試合の場でしか試せないことがあって、

表現できないことがあって、
学べないことがあって、
そして試合の後には良くも悪くも違う景色が広がっている。」
 
 
これも、また事実である。指導者としては、「怪我をさせたくない。しかし、違う世界を見せたい。」 
 
この狭間で悩ましいところが常にあって、私も想い続けている。
 
どちらにせよ、門人・門中には、最後は自分で決めることと言っているので、今後もその方針は堅持したい。
 
今週の日曜日。菊野先生の言葉を借りながら、皆で、話しをしたい。アマチュア草の根として、どう「試し合い」・「試され合い」に向き合うべきかを。そういう話しも重要なことだろう。
 
さて、今の段階では、未確認情報だが、新型ウイルスのために、本年度の日本拳法道福岡武道館大会=格闘フェスタ2021・第33回セイフティ格闘技選手権は中止になるようだ。
 
しかし、風門館主催・九州武道連絡会議後援の第7回風門祭日本拳法道選手権は11月前後に行うつもりである。
 
日程については、福岡武道館大会が開催されるかどうかによるから、未定ではあるが、大会が中止なら、11月後半。大会があれば、12月前半を考えている。
 
最後になるが、「総合格闘技Breaking Down」。試合時間1分。延長30秒。寝技制限。10秒。
 
我々のルールに似てないか?日本拳法道ルールは、本戦2分、延長1分。寝技10秒制限だが、何度でも寝技OK!。
 
未だに、日本拳法道ルールは、無名だが、時代が、我々に追いついて来ているような感がする。このルールを絶やさないためにも、風門は、今後も努力していくつもりである。