令和5年9月17日 日曜日 晴れ 田川郡福智町武道館(金田1313番地1)
行者:千手丸氏・千木丸氏・八咫丸氏
体験入門 少年部2名・幼年部1名、見学女性1名
稽古内容 体術総合・体術護身
・帯渡之儀
・首の鍛え
・護身:福光流手車・面叩
・組討:大外掛・横掛横捨身・置車・逆羽根
・風門館当身拳法基本素振り12箇条
・受返 風門館羽手拳法 揚げ突きのためのコンビネーション5種×120秒
・受け返しフリー稽古 60秒×5R
・鍛錬手合 L1・90S・2R 千手丸氏・千木丸氏
・サンドバッグ打ち込み稽古 雷神波10本×2、10秒ラッシュ×3
累計:千手丸氏6R、千木丸氏6R、八咫丸氏・4R、弦音丸氏1R、上羽丸氏3R
風門館事務局 0947・32・3550 kirara.1958@gmail.com 代表福光まで。
昨日は、出席者3名と少し寂しい日だったのだが、元気のよい少年部・幼年部の体験入門があり、自由すぎる一日となった。
現在の風門館の黒帯は、私を除いて、少年部の指導経験がない。試合も近いので、大会用の稽古もしつつ、少年部の指導の要領も伝えるという、なかなかの離れ業をやった。
一般・壮年と少年部の指導はまた別物なので、指導員にとっては良い経験になったはずだ。
この日は、先週の昇段・昇級の賞状渡しに続き、八咫丸新初段の刺繡入り黒帯が届いたので、帯渡しの儀を執り行った。
門人が、真新しい日本拳法道連盟の刺繍の入った黒帯を締める瞬間。指導者冥利に尽きる。
この瞬間に立ち会うために、指導を続けているというのが私の運営情熱の根幹かも知れない。
今は、武道が流行らない以前に、格闘技そのものが流行らないらしい。ボクシングの世界タイトルでさえ、数字が取れないと先日知った。
なるほど、格闘技も地上波に出ない時代なら、まして武道には、より逆風の時代といえるだろう。
その元々、数少ない入門者の中から、3年間辛抱して初段までに到達する人の数は、圧倒的に少ない。従って、風門館というより、日本拳法道連盟にとって、初段・黒帯の誕生は、貴重な指導員獲得の機会であり、宝物に近い。
ただし、指導員が欲しいからと言って、むやみやたらに乱発するわけでもない。一定の基準に到達しない限り、帯は出さない。
他流派に比べれば、そこまで、難しいわけでもなく、誰でも、週1回2時間の稽古を続ければ、3年ほどで取れるのだが、にも関わらず、現実問題、そこまで続く人がいなのが実態だ。
何にせよ、やはり黒帯を締めた姿は凛々しい。武道と格闘技のどこが違うのかいう質問をよく受けるが、この段位制度という文化のあるなしが一番の違いだと答えている。
若い時なら、大会に出て、勝った負けたが全てだろうが、48歳にもなって、ケガのリスクをおかしてでも大会にバンバン出るという人はまれだろう。
そういう40歳以降の壮年部にとって、黒帯になるというのは、まずは、具体的な目標としてわかりやすい。
風門館の平均年齢は、現在、51歳。それぞれ、職場において責任あるポジションにある。家庭・地域行事の合間を縫って、日曜日午前という、貴重な休日の二時間を削り出し、稽古を続ける。
その上で、3年間経っての、ようやくの黒帯だ。簡単なようでいて簡単ではない。
そこが我々草の根アマチュア修行者の難しいところだ。食うための仕事を最優先にし、家族の理解を得つつ、誰でもできる内容とは言いながらも、実際には、稽古で、常にどこかを痛めているのが普通であって、珍しい風景でもない。
前日、深酒などしようものなら、まず、日曜の朝、稽古に来る気にはなれない。
つまり、黒帯とは、3年間。自分をコントロールしたものにしか到達できない文字通り<修身>の証である。
護身・健身・修身、三位一体が風門館の掲げる理念だが、このうち、<修身>が最もわかりにくい。
風門館の言う<修身>とは何かが、おぼろげながらわかるのが、この初段をとったころからだ。
八咫丸氏は、風門館八幡道場長としても、今後活躍してほしいと願っている。後1年すると二段になる。
彼の場合、空手・KB・ボクシングなど打撃系の経験も豊富にあるので、二段取得をもって、八幡道場は風門館から独立して、日本拳法道連盟の支部として活動してもらうよう計画している。
今から、35年前、私は、日本拳法道連盟・木立門下に入ると同時に、空手仲間や拳法関係、元気の有り余った中学生たちを集めて、田川同好会を立ち上げ、宗家に師事しながら、八木山峠以東に日本拳法道を普及すべく奮闘してきた。
しかし、35年たっても福智町武道館を維持するのが精一杯というのが、現況である。
北九州進出は風門館の悲願だったから、八幡方面は、彼に一任したいと思っている。
しかし、元気のよい少年部の体験もあり、希望と可能性は捨てきれない。福岡武道館をもう一度、満席状態にする。
その苔の一念に向かって、日々、努力しているところである。