日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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小さな疑問。

 
 
私は、古武道マニアなので、本屋に行くと必ず、古武道関係の本がないか、チェックする。今まで、買い集めた蔵書もかなりにのぼると思う。

 

そう言う中で、よく出くわすのが、<古武道は死に合いの手を伝えており、今の現代武道は試し合い・・・云々>という件である。

 

こいうのを読むと正直げんなりする。古武道の優越性を説くために、現代武道を引き合いに出して、批判的に書くことに少なからず抵抗がある。また、<死に合いの手を伝えている>と、言うかと思うと、突然、<神武不殺>だから、高級だと言うようなことも同じ人が書いていたりする。

 

また、伝書や巻物などのすばらしさを褒め称え。世界で最高の文化だと言ったりもする。

 

で、疑問なのだが、古武道は死に合いの手を伝えているというのは、私もそう思っているが、それを知っていると言うことと、実際に使えるかどうかは、別問題なのではないだろうか?と思ったりする。

 

また、書いている人は、そういう死に合いの手を実際に使ったことがあるんだろうか?とも思ったりする。

 

まず、現実問題、死に合いの手を使ったら、間違いなく、過剰防衛で刑務所行きだから、そういう本を書くことはあり得ないはずだ。では、なぜ、実際に使ったこともないのに死に合いの手が、試し合いの現代武道より優れていると断言できるのか?

 

私は、まず、そういう姿勢に疑問を感じる。また、過剰防衛で使えないような死に合いの手は、現代社会では、護身の芸法としても全く無用とも言えるのではないだろうか?

 

また、現代武道は試し合いの手だと言うが、相当に怖い。しかも、競技者が多いから当然その頂点も高い。

 

スタミナ・パワー・動体視力・反射神経・勝負に対する執念・そして何よりも胆力。

 

すごい人がごろごろいるのに。その筆者の古武道に対する情熱は分かるが、他流の批判をしなければ、自流の優越性が説明できないとするなら、それこそ、紙の上のオープントーナメントをやっているのと同じだから、筆者の批判する競技至上主義とあんまり変わらないと思う。

 

と、こういうことを書くとやばい。すぐにお叱りコメントが来るから。ちなみに、私は古武道を批判している訳では無いのは、長く読んでいる方ならおわかりだろうが、この記事だけ読んで、短絡的なコメントを入れてくる人も多く、つい用心深くなる。敵は作りたくない。長生きしたいからね。

 

と前置きが長くなったが、私は、古術の相伝最終行法である、他流試合100本取りを嫌々やったおかげで、現代競技武道のほとんどと、手合わせしている。

 

ルールや、防具などが無かったら、間違いなくあの世の人ですよ。私。

 

今まで食らった中で、最高の突きは、硬式空手に出た時にもらった。スーパーセイフ面がなかったら、あの日で、この世とおさらばだったと思う。試し合いで、十分じゃないですか。私なんか、それさえ怖かったのに。

 

また、私は、福岡県警の逮捕術の教官クラスとも二人立ち会ったが、体重80K台で、柔道4段クラスなので、とにかく、馬力がある。打撃はそうでも無かったが、とにかく、投げ技がうまい。

 

手に6オンスグラブをつけても器用に投げてくる。その一人と立ち会ったとき、大外刈りをもらったが、瞬間、ヤベーと思った。場所が畳ではなく、床だったから。ところが、相手が、器用に引き上げてくれて、後頭部から落ちなくて、こうやってキーボードを叩いている訳だが、彼くらいになると、いつでも、後頭部から落とす、大外もできるんだろうなと、正直、柔道の怖さを知った。

 

空手の突き・柔道の投げ。いつでも死に合いの手に変化できる。それでも、コントロールできる技量を持つ。その位の達人になれないと、神武不殺も実現できないと私は考えている。

 

ちなみに、↑の動画。防具付きだが。無差別だったので、相手は80K台。私は60K台。動画で見るとなんと言うことも無いだろうが、実際は、ものすごい衝撃が来る。

 

こんな戦場を這いずり回って、生き延びた、足軽葉武者の一人として言わせてもらうと、<死に合いとか出来ません。試し合いでも怖かったです。>

 

でも、あなたは、あなたが、小馬鹿にする、その試し合いに出たことがあって、言ってるのですか?とか聞きたくなるのも武者の心情と言うものでは無かろうか?