武道の魅力。道場という居場所。帰属性について。
本を読むと、触発されて、文を書きたくなる。その場合。ほとんどが、武道をする意味とは何かにつてとかが多い。
この本の中に、帰属という。言葉が出ており、触発された。現代人は、帰属する場所を失っており、それを求めて、最近、修験に参加する者が増えていると言うことだった。
分かるような気がする。私が、既に、半世紀以上武道の世界から抜け出せないのは、結局。この場所が、一番居心地がいいからだろう。
職場・地域と帰属先は、常にあったが、ほんとに心落ち着ける場所は、いつも。道場という空間だった。
その中でも、日本拳法道が、ここまで長く居続ける場所になるとは思っていなかったが、自由度の高さが、性に合ったんだろう。
一年ほど、KBのジムにも行ったことがあるが、ガムを食べながら練習してもいいと言う自由度は、それは、行きすぎた自由度で、ここは、居場所ではないなと感じた。
私の原形は、古術である。その原風景は、明治と言うより、江戸か。戦国末期の隠れ里で稽古する時代劇がかったものだった。
次に、落ち着いたのは、八光流の町屋の八畳での稽古風景だった。まさに、明治の頃の滅び行く柔術道場。この心象風景が落ち着いた。
日本拳法道連盟そのものは、武道より、格闘技よりな部分が多いが、風門は特に異色で、私が、古術者であるという文化的な背景を持っているので、文化的には、古流儀に近い雰囲気がある。
文化的には、古流儀が好きだが、現代風のアートも好きという人間には、持って来いの居場所である。
いつも、人集めに悪戦苦闘しているが、ニーズに合わせようとか。ニーズを求めたりする気は無い。
この風門的な空気が好きという人間が来れば良いし、もともと、15人が最高目標なので、あり得ると思っている。
世間一般では、我々のようなスタイルは理解されないと言われているが、菊野先生の来歴を見るとそうでもないのでは感じている。
柔道・極真からMMA。それもオクタゴンから、泊手にたどり着くんだから。<ミニ菊野・アマ菊野・草の根菊野>というタイプは必ずいるはずだ。
幟を立てて。30年。長い道のりで、5人だが。いると思う。必ず。
出会うために。書いてる。