風門館は、「他流試合即修行」という故堀辺師範の考えに共鳴するところ大である。
そういうと好戦的な団体と思われるだろうが、事情はまったく逆である。
普段、片田舎で、少人数。家族的雰囲気で和気藹々と稽古してるからこそ、井の中の蛙に陥りやすい。
その欠点を補うのが、他流試合なのである。
そこで、勝敗も大事だが、自分たちのレベルを知ることが最も大事なことだと考えている。また、負けることで自分の弱さを知る。その弱さを知ることで、用心深くなる。これが、護身としては重要だと考えているわけである。
風門は、臆病で、弱いことを恥とはしない。むしろ、井の中の蛙になることを一番恐れる。
だから、行法としての他流との手合いを重視している。
また、矛盾するが、試し合ではなく、ほんとに、どうしても闘わざるを得ない時に、本当に自分が闘えるのか。
守るべきものの為に闘うことが本当にできるのか?その胆力を試すのも、他流試合の目的である。
試し合いさえ、恐れるような者が、真に戦わざるを得ないとき、戦えるはずがないのではないか。それが、風門の思うところである。
私は、31過ぎてから、15本のオープントーナメントに臨み、そのうちの13本は、35歳過ぎてからだった。公式戦だけでも50試合近く闘ってると思う。そのうちの半分は負け試合であったが、私は競技の結果より、無事に帰れるのかどうかが一番不安だった。
頭を打つ競技は、例えルールがあっても、万が一の死というのも無いとは言えない。
例え、防具付きであってもけっこう大きな事故を見てきたりした。
例え、防具付きであってもけっこう大きな事故を見てきたりした。
まさに体を張った賭博。ロシアンルーレットな世界を10年ほど経験した。
一人試合に出ることによって、他の門中も学ぶことが多々ある。そういう意味で、
他流試合は、一番の修行になっている。
しかも、日本拳法道ルールは、防具付きなので安全性の担保がある。
我々が、日本拳法道ルールを推す最大の理由の一つである。