https://www.youtube.com/watch?v=uukh4YQ-Yh0
日本拳法道連盟は、非常に立ち位置が難しい流儀である。競技の形式が、オープントーナメント制を取っているため、必然的に、格闘技諸派との交流が、どうしても多くなる。
また、連盟自体のスタンスが、武道より格闘技よりであるため、一方で、福光流という古色蒼然とした流儀文化を持ち、文化的には、古術色が強い風門に至っては、その狭間で、常に、武道とは何かを問い続けなければならないことになる。
また、武道という言葉の解釈が、各流儀で違うため、ここでも、混乱しやすいが、我々風門は、<武道と言うのは民族的人格を作る優れた教育法の一つ>と言う定義にのっとり、普段の活動を行っている。
その中で、段位とは何かと言うと、明治に講道館が最初に、段位を発行したと記憶しているが、既に、150年ほどの歴史を有すれば、これは、もはや、立派な日本文化の一つと言えるだろう。
段位を発行するのは、武道だけに限らず、将棋・囲碁・書道など、日本文化に広く定着している。
従って、この段位制度を保持するということが、日本文化の一つの継承とも言えるわけであるから、私は、段位を大事にしている。
段は、強さ・うまさの証明と=ではないが、少なくとも、その流儀に長く在籍し、稽古を続けたという根気力の証にはなると思う。
よく、大会等で優秀な成績を収めた人が、<段とか関係ない。>と言うケースも多々あるため若い人でそれに影響される人がいるが、しかし、その影響された若い人が、では、大会等へばんばん出るのかというと、これが、そうでもない。
とすると、何が残るのか?大会にも出ない。出ないのに、出た人の影響で<段も取らない>。
大会歴も無く、段も取らない。それで、稽古だけは来るとかは、実際には、あり得ない。
武道と言うのは、文字通り、武の道であるから、長く歩くことそのものに、意味がある。
その歩いた証明が、段と言う文化なのである。
最近、市民マラソンが流行っているが、気持ちは分かる。もちろん、タイムも大事だが、完走すること自体に大きな意味があるから、多くの人に支持されているのではないだろうか?
我々は、フルマラソンの距離を知っているし、長距離のきつさを学生時代の体育やクラスマッチ等で十分味わわされている。
だから、フルマラソンに出たというだけで、敬意を持つ。
競技武道も同じことだ。大会に出ること、数多く出ること、そこで、優勝すること、そういうのも大事なことだが、誰でもできるのかというと、それは簡単ではない。
まず、我々のような市井に暮らす凡夫にとっては、週一回2時間の稽古を続けること自体が、容易ではない。
遊びが好きだ、酒が好きだという人間は基本続かない。仕事に追われる日々の中で、貴重な休日の2時間を削りだし、稽古を続けるというのは、出来そうで容易ではない。
だから、世間も段位を評価するのではないだろうか?武道経験が無くても、日本人の多くは、習い事の経験がある。
その経験から、初段なら3年くらい。4段なら10年くらいとだいたいはじき出す。流派によって違いはあろうが、ある程度は似たようなものではないだろうか?
つまり、武道の段を取ると言うことは、その道の歩いた年数を証明すると言うことに他ならない。だから、初段より二段、二段より参段と評価されるのもむべなるかなと思う。
日本拳法道の段位は、いつも言ってるようにさほど難しいものではない。誰でも、週一回2時間稽古に来れば、3年で初段が取れる。
しかし、その簡単な3年が、続かない。入った一年目は、熱心に通うが、2年目になると熱が薄れる。そして、最後の3年目で、消えていく。
個々人の事情は知らない。ただ、経験上、10人入って、初段まで行くのが一人。
そうすると面白いことに、私が日本拳法道田川同好会を起こしてから、今年で、35年になるが、この間、教えたのがのべ、900人手前というところか。
そして、私の元で出した初段が、9人だから、怖いくらい当たってる。
そして、この初段の中から、3段まで進むのが、5人に一人。そして不思議なことに3段まで行くとだいたい5段までは辞めない。
今年、9月、千木丸氏が二段に昇進、私の育てた二段としては、5人目である。35年指導して、やっと二段が5人目。
これを多いと見るか少ないと見るか。世間の評価は分からないが、私は、その困難さを知っているので、素直に嬉しい。
こうやって一人ひとり黒帯への道を、歩かせるのが、先達としての私の役割だと思っている。
日本拳法道連盟自体、組織的には苦戦しているが、技術・試合形式・ルール・防具など、申し分ないと思っている。
弱点は、ただ一つ。組織的に弱い。その一点だけである。しかし、その一点は、天才など必要としない。
我々、風門のような、凡夫の集まりであっても、数さえ増えれば、克服することができる。
いい商品だから、売れるとは限らない時代だと言われる。日本拳法道もそういう意味で、宣伝力が弱いのだと思うが、私は、諦めるつもりはない。
私の愛した日本拳法道の普及と広報活動に邁進し、後進を育て、必ず、福岡武道館を満席状態にしてみせる。
後10年で75歳。もう10年は、稽古したいと思っているので何とかなるいだろう。その間に一人でも多く、黒帯、支部長クラスの三段を育てたい。
苔の一念だが、幸い、経済的にはゆとりがあり、年金暮らしで、時間もある。サラリーマンはとにかく時間が無いから、道場の予約を取りに行くこと自体が大変だった。広報と運営、技術指導。自分の出来ることで貢献したい。
畑だけでは、男の一生としては物足りない。やはり、闘う男たちを支える生き方もいいいものだ。死ぬまで武道と関わりが持てたら満足のいく一生になる。
風門館事務局 kirara.1958@gmail.com 代表福光まで。