九州豊前田川は、筑前との国境地帯である。今は、同じ福岡県だが、江戸期は、豊前のほぼ全域を支配した小倉藩と筑前一国を支配した黒田藩とは、別国だ。
そこに意味がある。
豊前から、筑前へ抜ける道は、いくつかある。そのうち、秋月街道が有名だが、他にも篠栗街道。また、遠賀川水系に沿って、筑前へ抜ける道は、途中難所も無く、豊前香春から、上野通りを経て、直方に至れば、江戸期。九州で最も重要な街道であった長崎街道に繋がる。
その、秋月街道と上野通りの分岐点を示すのが、この石柱であるが、この分岐点まで、福光谷から徒で、10分ほど。早駈すれば、5分で着ける。
しかも、街道からは見えない位置にある。絶妙すぎる。だから、福光谷を選んだ。
豊筑二州の交通の要衝香春は、筑前へ抜けるためには、必ず通らなければならない道の結節点である。それのどこが、そこまで重要なのか?
人の動きが読める。それが重要なのである。この街道の結節点に、徒で10分ほどで、ありながら、街道からは隠れて見えない位置にある。
しかし、山仕事のついでに、大岩壁=尖り山の麓まで、福光谷から、10分ほど。そこから遠望すれば、小倉街道・篠栗街道・上野通を行き交う人馬の動きは、一目瞭然である。
なぜ、そんなことが必要だったのか?つまり、それが、古術者の秘密なのである。
以下続く。