日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門之儀2020 「我々風門は、一矢報いるを以て風門の意地となす」風門館道場訓より。


第5回風門祭日本拳法道錬成大会 重量級第一試合

 

https://www.youtube.com/watch?v=mCD2hJPYKCc&t=42s

 

第6回風門祭に寄せて。

風門館 正指導員 福山千手丸(日本拳法道三段・福光流三段)

 

私が風門祭に求めるものは至極単純である。戦えるか、これだけだ。

他に難しいことは何もいらない。相手が大きいとか、強いとか、勝てるかどうかとか、そういうことも関係ない。ただ単に戦う場を求めているのだ。

 

戦う場は熾烈だ。相手は自分をぶちのめそうと意気込んでいる。

相手は打撃が、いや組技が得意なようだ。当たると痛いだろうなあ。もしかしたら大けがをするかもしれない。審判が止めてくれるって?そんなことは期待できない。

 

そんな場において考えていることは、自分はまだ頑張れるかな?この程度だ。

刻一刻と変わる状況の中、考えられることはそんなにない。

 

コントロールできるのは自分だけで、コントロールできない相手などそもそも眼中にない。戦いの場では自分こそが味方で、自分こそが敵なのだ。勝つのも自分だし、負けるのも自分なのだ。ただひたすら内なる自分と戦いつづけるだけなのだ。

 

そのうち、試合的に何らかの決着がつき、自分との孤独な戦いは終わる。

結果はそんなに重要ではない。戦ったかどうかだけが重要である。

私の戦いとは行なのだ。行こそが戦う理由であり、私が求めるものなのだ。

今までの風門祭にはそれがあった。これからの風門祭にもあるだろう。                 

 

 

「我々風門は、一矢報いるを以て風門の意地となす」、これは、風門館の道場訓の一節である。

 

私が、日本拳法道の存在を知ったのは、1988年・昭和63年の秋(30歳)のことだった。日本拳法道と木立先生のことが、その後廃刊となった武道系の雑誌に載っているのを見たのがきっかけだった。

 

とにかく、当時としては、考えられないくらい斬新だった。日本拳法ルールをベースとしながらも、軽量防具の使用・ローキック有り。足関節有り・締め有り。大会はフルオープントーナメントのため、そのほとんどが他流試合となる。

 

夢に出会ったと思った。しかし、勇気が出なかった。私は、中学の時に剣道をやった以外に、競技武道の経験が無かった。子供の頃から家伝の福光流を始め、空手2流派・合気系3流派をやったが、いずれも形稽古中心で、徒手での試合どころか乱取り経験も皆無に等しかった。

 

また、当時師事していた村上先生が、「組み手はシャモの喧嘩」と言って、否定的であった関係も有り、合気道とナイハンチン(沖縄小林流)に明け暮れる日々だった。

 

しかし、私は、確かめてみたかった。自分が、果たしてどこまでやれるのか。

 

私は、非力で虚弱だ。特に、弱視に近い強度乱視のため、コンタクトでしか、視力矯正が効かない。その視力も、28歳の時に、過酷なサラリーマン生活のため、角膜円錐状突起と言う、強度近視・乱視の人間がかかる病に冒され。頼みの綱のコンタクトを使いすぎれば、角膜に炎症を起こすため、常に自分の弱視と闘わなければならなかった。

 

裸眼視力。0.01。車を諦めれば、身体障害者手帳をもらえると医者から言われたが、嬉しくも何ともなかった。その時点で、40で失明すると言われていたので、私の30代は、失明の恐怖との闘いだった。

 

そんな、一般人と比べても、非力で、小兵(169cm・63k)の私が、翌年、日本拳法道福岡武道館第4回大会(セイフティ格闘技選手権大会・当時は無差別。30人規模のトーナメント)に出るべく、木立門下に入ったのが、翌年1989年・平成元年春のことだった。その時、31歳。

 

その年の秋、どこかの空手の黒帯を1回戦で撃破し、2回戦で、日本拳法と闘い、膝をつくダウンを喫し、敗退。翌年第5回大会では、無差別でベスト8進出。敢闘賞を受賞する。涙が出るほど嬉しかった。

 

ここから先の話は長くなるので、やめにしよう。

 

風門は、弱者としての私が、試合に出るための稽古場として、設けたのが、そもそもの起こりである。だから、常に、弱者の論理で道場を運営し、稽古のメニューを組んできた。

 

そういう、弱者である私に取って、「他流試合は出て、無事に帰還すること」が最大の目標であった。

 

風門とは、元々、そういう道場なのである。ただし、私自身にも、言い聞かせ、のべ800人教えた門下にも常に言い聞かせたのが、「弱者の意地」である。

 

例え負けると分かっている強大な相手でも、「必ず一矢報いる。」この精神で門下を育ててきた。

 

怪我をせずに無事帰還する・しかし、必ず一矢報いる。

 

全て、矛盾だが。そのどちらも、弱者としての兵術には必要だと思う。

 

競技武道をやる以上、意地は必要だ。生きていく上でも、意地は必要だ。

 

謝る・逃げる。これも必要だが、この一線は、守らなければならないという場合。意地が必要となる。

 

謝る・逃げるに修行など必要があるのだろうか?謝るだけなら、弁論大会で訓練すればいい。逃げるだけなら、陸上をした方がいい。

 

意地を通さなければならない時。人としての尊厳をかけ、意地がいる時。その時のために、行としての武道なり、武術なりの稽古が必要なのでは無いかと私は思う。

 

正解は、人それぞれだろう。だから、風門は、風門なりに考え続けている。

 

千手丸指導員も常に考えているのだろう。何のために、42歳にもなって、コートに立ち続けているのか?

 

我々、凡夫にとって、プロテクター有りでも、未知の他流との手合は怖い。その恐怖と闘いながら、何を見ているのか?

 

私にも分からない。ただ、文字通り。「試し合い・技競べ」として、試合・競技に臨む風門は、常に、「試合・競技」は、鍛錬のための行であると考えている。

 

その精神が脈々受け継がれていることを知り、私の31年間は無駄では無かったと知った。