私は、臆病者だ。常にそれを自覚している。従って、万が一の際、果たして死ねるのかという疑問を絶えず持っていた。
しかし、今回の平成31年の最後に起きた某重大事件で、私は、万が一の際には死ねるという確信を得た。
事件を知った日の私の怒りは、すさまじかった。人は本気で怒ると、かえって冷静になるのだとも知った。赤い炎ではなく、青白い炎が私の中で燃えていた。
そして、「天津日嗣の御子」を守るためなら、私は、死ねるのだという確信を得て、不思議な感銘を覚えた。
先の敗戦から70数年。牙を抜かれ、米国のポチと蔑まれ、本当に、万が一の際に、先人達のように、お国のために死ねるのか?と常に自分自身に、自信を持てなかったが、今回の事件で確信した。
日本人は、まだ、大丈夫だ。本当の危機の際には、死ねる。間違いない。
ただ、普段の教育が必要なことは言うまでも無い。
「天津日嗣之栄え坐(まさ)むこと
天地(あまつち)之共(むた)無窮(とこしえ)なるべし」
私が、古術者として、万が一の際には、「誓約」のために、死ねると言う確信を得たことが、私の中では大きかった。
我々、古術者は天意思想を持っている。恐れ多いことではあるが、今回の重大事件は、皇国臣民に覚悟を迫る天意だったのではないかと解釈している。
しかし、私は、改めて、「雛之衛士」として、自分の任を全うして死んでいくことを確認した。