岩石山を巡るエトセトラ↓参照。
九州豊前大行事。私の好きな風景の一つである。蓮華畑と向こうに見える山が美しい。
しかし、私は、この山の名を正確に知らない。恐らく、岩石山ではないかと思うのだが、全く確信は持てない。
自分の故郷の山の名すら知らない。しかし、私は、トルコのアララト山がどこにあるか。地図上なら即座に解答できる。
それが、私の受けた戦後教育である。予備校の一年を加えると大学まで、14年間学校教育を受けてこれだ。
最も、山歩きが好きか。郷土史の専門家でなければ、概ね、戦後の大学教育を受けた人間というのは、こんなものではないだろうか?
なぜ、私は、地元の山の名を知らないのか?簡単な事だ。受験に出ないからである。
受験に出ない問題を考えることは時間の無駄でしかなかった。そして気がつけば、61になり、まさかの二度目の新元号を迎えようとしている。
最近、私は、この戦後教育とは何だったのかと常に考えている。
教育には、目的と意志がなければならない。しかし、戦後の日本に、果たしてそういう明確な意志があったのだろうか?
学歴が職歴になるから、ひたすら無味乾燥な知識を詰め込み、その結果として、故郷の山の名も知らない人間が育った。
令和元年5月1日が近い。
足下の歴史を学び、地に着いた人間を育てたい。私は、風門を通して、そういうことをやっていきたいと思っている。
と同時に、例え田舎暮らしであっても、ドル円のレートを常に気にし、NYの+-に敏感な人間をも育てたい。
私の中学時代の恩師は、よく、<野生と知性>のバランスと言うこと言っていた。
「菊と刀」も同じで有り、古術の「陰陽論」も同じであろう。
恐らく、真理は一定の普遍性を持っている。そして、今の日本に欠けているのは、土着性と刀で有あると思う。
鎌倉武士の土着性と刀が必要な時代が迫っているのではないか?
と同時に、冷静に、国際情勢を分析する知性と教養も要る。
あの、元寇の国難を乗り切ったのは、その両方を鎌倉武士が持っていたからだ。
古術が、<鎌倉の古風を今に伝える流儀>と名乗る真の理由がそこにある。
菊と刀。土着性と国際性、野生と知性。文武両道。全てが陰陽和合して完成する。
私も学び、門中も学ぶ。学校教育が終わってからも、生涯を通して学ぶ。石門心学のようなことをやりたいと昔から思ってきた。
我々の場合。基本は武士道を学ぶことが中心だから、私は、それを<風門士学>と呼んでいる。露骨に石門心学のパクリだが、志を受け継ぎたいと考えている。