風門の儀2018。平成30年記念福岡県武道大会。日本拳法道。試合演武。
https://www.youtube.com/watch?v=rLG7E-J2e2s&t=25s
あとわずかで、令和元年となるが、その令和の時代に、新しき古き武士道を学ぶための場として、風門館は、活動していくつもりである。
武士道というと、多様な解釈があり、論議の的となるが、我々は、人と論議する気は無い。我々の目指す武士道は、我々の目指す武士道であるから、人からの干渉は受けないし、また、人様の武士道論に干渉する気も無い。
我々の目指す武士道は、あくまでも風門武士道であって、それに一味同心する者がいれば共にいざと。という感じでやっていきたい。そういうことだ。
よく今時、武道をして何の役に立つんですかと言う人がいるが、今こそ、日本人には、武士道が必要であり、それを学ぶ手段としての武道が必要な時代だと感じている。
この場合の武道は、武術ではない。<民族的人格を形成する優れた教育法の一つ>としての武道を指している。
昔、「菊と刀」と言う本があった。あまりにも有名なので、説明の必要も無いと思うが、今更に、日本人の本質、日本文化の本質を突いていると感じる。
だからこそ、戦後教育で、徹底的に<刀>の部分を奪われた。
その弊害が、今や日本の存立を脅かすほどになっていると感じるのは私だけだろうか?
一国の独立を守るためには、軍事力と経済力がいる。しかし、それ以前に、祖国の独立を願うという必死の気概がいる。その気概無き国では、そもそも、何のために守るのか?何を守るのかさえ、曖昧模糊とし、遂には亡国の民とならざるを得ないのではないか?
それだけ、今日の世界情勢は厳しいと私は思っている。
<刀>とは、実用の武器でもあるが、同時に、気高く、激しい精神でもある。
武道は、武士道を教える。そこには、当然、我々が理想とする民族的人格があり、それを追求することになる。
それが、「菊と刀」ではないだろうか?
気概を作る。そこに武道の今日的テーマがあると私は考えている。
令和の時代には、多くの武士が必要となるだろう。また、作らなければならない。
軍事・経済だけでなく、強固な文化もまた、一国の独立を靖ずる。文化による防衛。重要になる。特に、その中心として<刀>としての武道がなければ、日本文化は完成しない。
新しき古き。改元という文化は古いが、同時に我々に新しい時代の到来を告げてくれた。常に<新しき古き>が繰り返されるのが日本の伝統なのだ。
風門は、元々、平成の世に新しき武士を作りたいという私の考えで発足したのが始まりだ。
だから、令和になっても、令和の時代に相応しい侍を作りたいと思っている。
動画は、昨年の平成30年記念福岡県武道大会にて演武を行ったときのものである。