https://www.youtube.com/watch?v=Zj8behOi0Lc
令和元年10月27日。日曜日。晴れ。午前の部。於田川郡大任町B&G
稽古内容 体術総合
稽古録は、終わってから、すぐに書かないと忘れてしまう。先週のことだが、ぼんやりとしか思い出せない。
大会が近いので、唐武会のS選手を念頭に置いて、稽古した。唐武会の怒濤の突きのラッシュをどう防ぐか?
私と宮崎宗範・雷電師範の知見を伝える。教える側が3人なので、千手丸氏も、やや混乱はあろうが、結局は、普段磨いた技しか使えない。
無意識レベルまで回路に動きを刻み込む。試合は、テストのようなものだ。普段の勉強の積み重ねがどこまで通用するか?
そこらへんの確かめる楽しさが、競技武道の面白さだと思う。
常磐丸氏が、風門祭で鼓膜破損。スパー相手に不足している風門は、独立してやっていくだけの力は無い。
今回も、宮崎宗範と雷電代表の力を借りて、できる稽古を積み上げている。
老人部隊で支える。マススパーの相手・寝技の稽古相手・ミット持ち。
老人なりにやれることはある。環境には恵まれていないが、志は熱い。
私は、格闘技をやるつもりはない。私の目指しているのは、あくまでも、令和の武士を作ること。
武道の錬磨を通して、民族的人格を磨き、武士道精神を涵養する。
風門の最終目的はそこにある。<一旦緩急あれば、義勇公に奉じ・・・・>
戦後の日本は、<今だけ、金だけ、自分だけ>のグローバリズムに冒されすぎた。
精神の立て直し無しに、祖国の立て直しはあり得ない。武道の武は、実用で無ければならない。しかし、道である以上。徳を磨くことは重要だ。
風門が、<格闘技では無く、武術でも無く、武道団体>であると名乗っているのも意味あってのことである。
今時、古くさいとか、地味だとか批判や嘲笑を受けるが、重要なことだ。日本の国柄を守るには、単なるど知識や読書量だけでは、なし得ない。武士の道を身体で、肉体言語で学び、細胞レベルまで、身体に染みこませたものだけがその中核になり得ると確信している。