自給自足的にとか。大きな事を言ってるが、実は、農作物の知識とか皆無に近い。
私の年代でも、家が、小規模兼業農家の場合。家の手伝いとかした人間は少数派だと思う。
とにかく、勉強が大事だった。うちの場合。父親は馬鹿なのだが、母方が、高学歴が多くて、母方の親族・戦後第2世代(要するに俺の世代)は、8割方国立大に進学してるという強烈な家系である。
そのプレッシャーは、半端なかった。国立に行けなかったら人間失格。冗談抜きで、子供の頃から真剣にそう思っていた。
しかし、よくある中途半端な田舎の秀才の類で、結局、一浪して、大学は、国立ではなく、公立。まさに中途半端。
だから、10年前に畑を始めるようになるまで、春に野菜が少ないと言うことすら知らなかった。
冬野菜と夏野菜の端境期。この時期に、野菜が少ないと言うのを知ったのが、50過ぎてだから、まさしく、戦後シラケ世代と言われた俺らしい。
これが、都会育ちならまだ分かるが、田舎で、しかも、零細とは言え、田畑を持ってる人間でこれだから、戦後の日本人の一典型と言える。
そうやって、この春の野菜の少ない時に、これがまた、不思議なことに、野草が食える。いや、食える野草が準備されている。それに気づいたときの衝撃は半端なかった。
多分、田舎の百姓は逆にそういうことに感動しないのではないか?人生の全てが中途半端な俺だが、感動するときは、めちゃくちゃ感動する。
ここらへん、シラケ世代と言われても、情緒右翼の代表と言われた梶原一輝直撃世代。「君のためなら死ねる」(愛と誠)とかを笑いながら読んでいても、情緒的に染みこんんでいるし、ちゃぶ台返す熱さを心の底に秘めてるから。
ああ。こうやって、前置きが長いのだが。
この木の芽和えの感動を伝えたかった。この野菜の少ない時期に、山椒の若葉を擦って味噌と和える。
栄養素のことは詳しく知らないが、この目の覚めるような緑には、葉緑体とかビタミンとか入ってしう。
これに、掘りたて。ゆがきたての筍。ちしゃと和える。多分。ビタミン・ミネラルOK!な気がする。
うちの場合。味噌は、味噌屋に頼むが、材料の米は自前。酢は、自家製のカボスを絞った100%天然果樹を年中使ってる。
春になる度、神の存在を感じてしまう。偶然にしては出来すぎてるから。