https://www.youtube.com/watch?v=Ug4aI7PWLxg
昭和33年生まれの私は、現在63歳である。まだ、年金が満額受け取れないため、午前中は、パートでリーマン。午後は、自給自足的な生活を目指して、畑で野良仕事をしている。
この年になるまで、挫折体験が一度も無い人間と言うのは、皆無であろう。もし、いたら、ほんとのラッキーマンだ。
私も数々の挫折を味わったが、そのうちの一つを紹介しよう。
私は、中学時代剣道部だった。そこそこ強かったと思う。しかし、我々の年代は梶原一騎直撃世代と言われるように、梶原一騎とともに育ってきた。特に、「空手バカ一代」は、不朽の名作だと思う。
だから、空手がしたかった。それも、極真空手が。マス大山の通信教育をよほど受けようかと真剣に悩んだ世代だ。
しかし、当時。情報が、少なくて、空手道場が地元にあることすら知らなかった。そんな私に突如出会いが起こった。中学3年の時、いきなり香春町に空手道場が出来たのだ。
同級生が、続々と入門する中、剣道をやめる訳にはいかなかった私にとって、部活の帰りに、公民館で行われている空手の稽古がうらやましくてたまらなかった。
だから、高校に入ったら、即、入門すると決めていた。ちょうどその頃、剣道も、香春小学校で、高段者が教え始めたので、我々は、部活が終わるとそのまま、町道場に通うという剣道三昧の生活を送った。部活の引退後も、何故か、全員で町道場に通い、12月の暮れまで稽古していた。
さすがに、正月からは、高校受験のため、剣道も引退。空手もお預けだった。
それから、高校に入って、その町道場に入門したが、大学のための受験勉強との兼ね合いで、両立できるほどの体力が無かった。そして、その空手の先生が、教えているもう一つの道場が、土曜日にやっていたために。それなら、私の体力でも通えると思い移籍した。
中間試験・期末試験・大学入試のための模試。田舎の進学校ではあったが、朝は補習。放課後も補習。普通に8時間授業だった。
8時間授業をして、夜空手に通う体力が無いと言うより、具体的に言うと、私は、弱視に近い強度近視で有り、眼鏡では、矯正が効かない強度乱視という特殊な目をしてたので、コンタクトをしないと普通の生活が送れなかった。
日々突きつけられる、このままでは、大学へいけない。金が無いので、私立は無理。、国立しか行けないのに、文系であっても、無惨なほど、数学が出来ない。
母方の一族が、みな、国立大に進学しているので、国立に行くのが当たり前だと思っていたら、頭が並み程度で、受験勉強に耐えられる視力が無いという悩み。当時も、かなり追い詰められていた。
そんな状況だったので、空手も、試験前には休ませてもらうと言う日が多かった。となると、今度は、それが、また、出来ない自分へのプレッシャーとなる。
そういう、受験勉強と空手の狭間で苦しんでいる時、母方の祖母が危篤状態になった。まだ、意識のあるうちに、一度会わなければならない。しかし、試験で空手を休み続けているので、先生に申し訳が立たない。
そして、もう最後かも知れないというある日の土曜日。私は空手の稽古に生き、祖母が死んだ。母親からさんざん責められた。当然だろう。祖母には、孫は私と妹の二人だけで、子供の頃から、愛情を注がれて、育った。
その祖母の死に目より、たまにしか行かない空手を選んだのだ。
葬式で、いくら泣いても、親族は皆、冷ややかだった。祖母から、一番可愛がられ、自慢の孫であった私が、死に目に会えずでは無く、会わなかったから。
それで、空手を辞めた。いい先生だった。強くて、優しかったし。理想の武道家だった。その流派の稽古体系も良かった。基本は、厳しく・きつく。組み手も独特で、面は寸止め・中段は、ライトコンタクト。そして、下段有りで、下段は、そうとう強く蹴ってOK!だった。今の拳道会のルールに近いと思う。
先生からいただいた、写真の額を今でも家に飾ってある。
ヘルマン・ヘッセの作品に、「少年の日の思い出」と言う作品がある。
空手に憧れ、やっと空手を知り、その道を中途半端に投げ出した苦い思い出。と同時に祖母の死に目よりも、自分の都合を優先して、悔いた苦すぎる思い出。
「少年の日の思い出」を読むと、主人公の苦い悔恨が痛いほどわかり、私にとっては辛い作品だ。
わずか、一年ほどだったが、高校時代の空手道場は、私にとっては、果たせなかった部活動であった。
だから、風門を開いた時、私のような弱者でも通える道場にしようと思い、1レッスン制にした。いつでも来て、稽古して、しばらく来なくても、また、思い出したように来られる道場。
それで、32年間。やってきた。これから先も、風門館は、若かりし頃、果たせなかった何かを果たせる場所として運営してゆきたい。
風門館。大人のための部活動。そんなのりで活動するのが、私の望むところである。
昔の挫折のトゲは、簡単に抜けるものではないし、また、武道における挫折で、私が生活に困ったわけでもない。ただ、私自身の心の問題で有るのだが、老いた今だからこそ、その心のトゲを抜いておかないと人は、落ち着いて死ねないという事実にも気づいた。
私の数々の挫折を、救ってくれたのは、やはり、日本拳法道との出会いだった。32年間の日本拳法道との生活で、精神的に救われた面が多々ある。
人は、どうなのか、分からない。ただ、私は、私のような人間に心のトゲを抜く場として、風門という治癒室を用意している。そんな感じだろうか?
暗い文章になってしまったが、この動画のように、風門館の稽古は明るい。明るくて、晴れやかで、根気強く稽古している。
基本は、競技武道なので、明るくても、常に緊張感が漂っている。ふざけた稽古をしていると手足など簡単に折れる。だから、ふざけた人間が、稽古に来れるような雰囲気では無い。逆説的だが、だからこそ、明るくなれるのかも知れない。
結局何が書きたかったのだろうかといつも悩むが、風門館は、大人のための部活動で今後もやっていく。それが言いたかっただけである。
私は、あなたに伝えたい。何かやり遂げられなくて、自分の中に、トゲが刺さっているのなら、風門で抜いたら良い。良い場所ですよ。
ちなみに、私は、このバースの「ふり向くな君は美しい」という歌が好きだ。PCだとこの歌を開いた後、風門の稽古風景を流すと、ちょうどBGMになる。スマホでは、やったことがないのでわからないが、良かったら試して見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=UR0ECdA6myI