https://www.youtube.com/watch?v=QQxZrS3Tp5w&t=12s
最近、私は、福光流という言葉をよく使うようになった。以前は、単に古術と称していたのだが、人に伝わらないし、下手をすると甲野師範の古武術と間違われ、介護職の技術を求められたりの問い合わせまでくる始末である。
そもそも、今の風門館の門人は、日本拳法道や風門館護身体術を学ぶために入門したので、特に古術を学ぼうと言う人はいない。残念ながらそれが現状である。
古術の正式名称は、鎌倉風流伝古芸豊前福光派古術と言う長ったらしいものだった。意味は、「鎌倉の古風を今に残す流儀」であり、かつ、豊前福光党が作り上げた武術だという意味が込められている。
それが長いので、略称として鎌倉古流豊前伝福光派古術を称し、更に簡略化して「豊前福光派古術」となり、最後は、内輪では、古術と呼んでいた。
特に、古術の修行者を古術者と呼んで、我々がその言葉を使うとき非常に誇らしい気持ちになる。
しかし、現況、私が伝えているのは、古術の切り売りである。
日本拳法道ルールで使える技を競技用として教えている。次に、護身用として系統など無視してばらばらで教えている。
古術は本来、厳格な修練体系があり、素手は当身から、得物は元手からとなっている。
この時点で、今いる門人は、木霊丸氏と千手丸氏以外、言っている意味が分からないはずだ。
この用語の解説から入らなければならないと言うのが、現在、古術がおかれている現況である。
しかも、肝心要の礼法をすっ飛ばして教えているため、これを鎌倉風流伝古芸として残したとすると大きな誤解を生じるのではないかという危惧を抱いている。
難しいところだ。私も、既に66歳。いつどうなるか分からない年齢だ。本来の古術を系統的に教えるのはもはや不可能だろう。
まして、日本拳法道主体の稽古をしているので、全伝継承は諦めている。
元々、一手でも残ればと思って、公開教授を始めたのが、今から、16年前からだろか。
風門館の前身である、日本拳法道連盟風門同志会時代の門人には、古術のことなど一切話さなかった。
話したところで、捏造流儀流儀扱いされるのが落ち出し、当時は、私自身が現役だったので、正直弟子を育てているという意識など皆無だった。
受け身のために、簡単な組討術を教えるくらいだったので、同志会時代の門人と今の風門館になってからの門人では、技のレベルが全く違う。今の門人の方が、精緻な技を使いこなしている。
また、冒頭に「風門館護身体術」と言う言葉を使ったが、これの正体は、切り売り古術である。系統的に教えていないので、風門館護身体術として教えている。
だが、この護身体術のベースは、古術だが、35年も日本拳法道をやっているのだから、当然その影響が強い。古術とも言えるし、日本拳法道形の応用とも言える。そういう技が多い。
更に、最近、自分の指導中の動画の後ろ姿を見るとき、ぞっとするくらい村上先生の風合いに似てきた。
15年間、沖縄小林流を学んだが、もう一つ24式太極拳もいささか学んだ。王樹金先生から、佐藤金兵衛先生、村上先生と伝わった太極拳だ。
太極拳の方は、本格的に学んだ訳ではないが、太極拳風に動くのは、暇暇にさせられていた。
要するに太気拳の練り・這いにあたることをさせらていたのだということに最近気がついた。
その太極拳風の練りなのか這いなのかを、今でもやり続けているから、それだけで43年間。
この影響がないはずがない。動画を見たとき分かるのだが、動きのニュアンスとして間違いなく村上流の影響が強い。しかも、最近、とみに似てきたような感じを受ける。
切り売り古術+日本拳法道+村上流拳術 これを古術として後世に残して良いのか?
私は、鎌倉古流福光派第16世守人として、抜きと飛び手は失伝したが、他はほぼ使える。しかし、私以降はどうなるんだろう。
逆に言えば、日本拳法道と村上流の影響を強く受けた切り売り古術は、もはや古伝の古術とは言えないのではないか?
後世、誤解を招かないためにも、私を初代とする「福光流柔術拳法」として残す方が芸法的には妥当だと感じた。
それで、最近、福光流柔術拳法を名乗るようになった。