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古術11代目相伝者:太助参之事

 

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古術11代目相伝者は太助さんと言う。

この人は、芸法的な部分での、話はさほど伝わっていない。体も頑強ではなく、線細く、相撲も特段強くは無かったが、手形はうまかったとだけ伝承にある。

ただし、子ども頃から、頭が大変良かった人として、強調されている。

 

豊前福光氏は、明治半ばまで、広い山林と、田畑を持った家であった。江戸期も、庄屋階級では無かったが、それに次ぐ、自作農で有った。しかも、傍ら、仔牛の肥育・鯉の養殖、その他諸々の産業を行ってたので、百姓と言うより、現代で言うと起業家に近い。当然、かなり裕福な暮らし向きだった。

そういう条件下の元、太助さんは、学問を好み、神主・修験者と交わり、相当な知識人であったと言う。。特に、国学を好んだと伝えられている。

 

ここからは、先代の見解であるが、

 

どうも、古術福光派の伝承部分は、この11代目太助さんが作った部分が大きいのではないかと言うことであった。福光党特有の<言振り文化>には、江戸末期の、国学の影響が強いと言うことであった。伝承ほど古くはないとのことだそうだ。

 

唐様を廃する気風も、国学の影響が強いと先代は考えていた。江戸期豊前香春は、徳川譜代小笠原藩領であり、殊に、江戸の末期頃には、徳川幕藩体制も揺るぎ始め、それを抑える手段として身分差別、身分秩序の厳しかったところである。

 

その息苦しい時代に、江戸期の武家に対する、反逆の気風として、日の本の武士、つまり、鎌倉古風、武者の道、和様などの文化体系を築き上げ、さらに、古術の芸法を体系化していったのでは、ないかと言っていた。

 

鎌倉古芸が、武家の武術とは違って、密教文化を取り入れず、あえて、神道色を打ち出しているのは、国学の影響を強く受けているからだろうと言うことであった。

私も先代の見解を信じている。何らかの伝承はあったんだろうが、この精緻な<言振り>文化は、江戸末期、11代目:太助さんによって完成されたと思う。

 

ただ、おもしろい。古術の魅力は、<言振り>文化にある。単なる芸法だけなら、多分、とっくの昔に消えているはずだ。この独特の<言振り>文化と合わさって伝承されるから面白いのである。まさに、陰陽。どちらか一つ欠けても、古術は成立しない。この面白さを是非後世に残したいと感じている。