日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門の儀 2016年6月4日 in 田川市総合体育館 その1

 

 https://www.youtube.com/watch?v=Ij07wYzOmkM

 
<古術者は食える。>、こういうことを言うとまた怪しくなるのだが、昔から、そう言われている。ただし、この場合。<古術で食える。>と言う意味ではないので、くれぐれも誤解の無いように。古術だけなら、食えるどころか、出費間違いなし、ほとんど一文の得にもならない。
 
ただ、不思議なことに、昔から、古術者は食えるというのは、古術が出来る環境が与えられる。そういう経済的な、時間的な余裕のある暮らしが出来、かつ、贅沢は出来ないが、生活にさほど困らないという意味で言っている。
 
江戸期、福光党が、一介の百姓屋にも関わらず、必死で道統を守ってきたのも、一つには、現実的な意味での家守の芸と言う、実需もあったんだろうし、また、大義のためという名分もあったんだろうが、実を言うと、どういう訳か、<古術者は食える。>という現象が続いたので、現世利益的な願望もあって、続いたと言うのが、案外本当のところなのである。
 
偶然と言えば、偶然なんだろうが、この偶然が重なると、やがて、信仰と化していく。古術の本質とは、案外、そこにあるのではないかと最近、つくづく思うようになってきた。
 
私も、世間の常識からすると、やや<?>な生活を送っているのだが、どういう訳か、基本的に食うのには困っていない。
 
最近も、やや懐具合が、このままでは厳しいかなと思ってたところ、なかなか、破格の条件の仕事が舞い込んだりして、当分、食うのには、困らないなと言う状況になった。
 
また、諸般の事情でなかなか稽古にこれなかった、初音丸氏と千手丸氏が、再び稽古に来られるような環境になり、偶然も、ここまで重なるとやはり、<古術者は必ず食える。>という伝承が頭をよぎる。
 
まあ、偶然と言えばそれまでの話なのだが、歴世そうなってるので、私の中では、単なる偶然とも思えない部分があり、けっこう信じてるところがある。
 
明治以降、豊前の地を離れて伝承されていた、<古術>が、私の代で、また、豊前に戻ってきたのは、一つには、古術を失った、豊前福光党が壊滅状態になり、明治の半ばには、すでに、所領の田畑・山林のほとんど失うというていたらくに陥ったことが大きい。その責任を感じた12代目が、まずは、その代で唯一まともで、本田党を継いでいた先々代に、総領家復活を託したという事情がある。
 
その後、ついに私の代になって、総領家に古術が戻ってきたのである。従って、我々、古術者にとっては、古術の行は、貧苦からの脱出のための手段でも有り、信仰でもあった。
 
確かに、古術者が出ると、その家系は、意外と栄える。先々代の家も、先代の家も、今は古術とは無縁であるが、きっちりとした家になっている。
 
苦労は報われると言うことだろうと思う。
 
まあ、そういう偶然もあるわなと思う部分もあるが、数が少ない風門に取って、一人一人の門中は、貴重な人材である。
 
<食は職に有り>と言うが、<食こそ、最大の護身>と言うのが、古術の教えるところである。食えてこそ、稽古にも来られるわけであるから、門中の仕事にも気を使う。
 
しかし、初音丸氏も千手丸氏も環境が安定してきて、ほんとに良かった。それで、週1回の稽古に来て、安心して、どつきあえる。
 
古術は<家守の芸>であった。それは、実技としての護身の手業を越え、<家運隆盛>を招く祈りの行をも意味している。
 
今時、こういうことを言うと、頭がおかしいと思われるだろうが、私は、そういう考えで、稽古をし、指導をしている部分があるのも事実だ。
 
風門は、日本拳法道連盟に所属しているので、競技武道の一面を持っているが、同時に、精神的・文化的には、相当、古術色が強い。一風変わった道場だが、そういう道場が、豊前の片隅に存在していることも、なかなか趣があるのではないかと思っている。