日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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九州豊前川崎 正八幡神社 杖楽

九州豊前川崎 正八幡神社 杖楽
 

https://horubai.jp/content/nnp_news/83  ← 杖楽の説明と写真など。

 
転載可なのかどうか分からないため、アドレスのみを上げておくが、この説明を読んで、これが古術ですと言ってもおかしくないくらい似通ってる。
 
4・5年前に、この杖楽の存在を知ってから、実は、これが古術の正体なのでは無いかという思いが強い。
 
先代も、それを知って、あえて、そこを避けたとしか思えない節がある。
 
古術福光派は、元々、鎌倉古流とか鎌倉古芸を名乗る風習があったが、それは、「鎌倉の古風を今に伝える流儀」と言う意味から来ていると伝わっている。
 
では、ここで、「鎌倉の古風」とは何かというと、芸法ではなく、あくまでも、思想的な意味合いで、士農一致時代の鎌倉武士が、古術者の理想だからという話しとして伝承されてきたのだ。
 
しかし、この杖楽が元なら、文字通り<鎌倉古流・鎌倉古芸>と言う名称の謂われも納得がいく。
 
備中の空丸師範から、「○○流の無い福光派」と言うのはおかしのではないかと言われたとき、私は、そういう疑問自体を持ったことが無かったので、そういうものかなと考えたが、その後も、その質が、妙にひっかかっていて、繰り返し考えるようになった。
 
それで、気がついたのだが、古術は、昔、鎌倉古流とか鎌倉古芸を福光の名を隠すために名乗っていたという伝承である。
 
現在でも、古術の免状認定の正式名称は、
 
<鎌倉風流伝古芸・豊前福光派古術>である。
 
この長い名前も、鎌倉古風流豊前伝福光派古芸・古術と考えれば、深く考える必要も無く、既に、そこに証があるのではないかと考えるようになった。
 
旧ヤフブロが開設以来、何故か。自然と<鎌倉古芸>の名称を使っている所以でもあろう。
 
私にとっては、全てが自然なために、違和感が無い名称の使い分けなのだが、それも、この杖楽が元となると、符合する点が、多すぎて、逆にこれとは別個に成立したという方が不自然な気がするくらいだ。
 
ただ、元はそうとしても、芸はかなり違っている感じがする。もっとも、動きは動画を見ただけなので何とも言えないが、昔からこうなのか?あるいは、神事・祭事用の部分だけこうなのか?
 
今後も、引き続き私には大きな関心の的である。
 
さらに、この杖楽を伝えたのが、鎮西八郎為朝ならば、その鎮西八郎為朝に引き連れられて豊前田川に下向した、一族の内、現在も香春に多数居住し、社家なども務めている鶴我氏は、この芸法を伝えなかったのか?
 
また、この杖楽は、豊前田川の他の場所には伝わっていなかったのか?
 
最後に、なぜ杖楽なのか?
 
この杖楽の分布を調べると面白いことに英彦山を中心に尾根伝いに分布していることが分かる。
 
英彦山宝満山は、修験でつながる。そして、宝満山と言えば、やはり、棒では無<杖>と言うことになる。いわゆる<黒田の男杖>と、
この杖楽に何かしらの関連があるのか?
 
次々に、数限りなく続く疑問がわき起こり、飽くことが無い。
 
しかし、古術者は探さない。元々、<天意思想>という絶対的受け身思想を持っているので、自ら訪ね歩くということもない。
 
待っていると、何かの拍子に、こうやって出会える。
 
それをネットの時代だからと言う人もいるだろうが、だからこそ、今、私の代になって世に出たとも言えるし、それが、実は天意だったとも考えられるわけだ。
 
先代が、<古術はまさしく宝>と言うことをよく口にしていたが、最近は、その意味が分かるようなった。
 
面白い。まさしく宝。死ぬまで飽きないと断言できる。