https://www.youtube.com/watch?v=p-KQszyQO6g
私が、日本拳法道に入門した動機は、いくつかあるのだが、最も強い動機・理由の一つに、安全に他流試合が出来るということがあった。
この1996年。38歳の時、入門して既に、8年目の秋を迎えていた。
この動画を見たら分かるように、実を言うと相手が何者か分からない。この当時、コシュチュームも自由であったために、迷彩服柄の空手着とかも登場して、服装から、既に異種格闘技戦であった。
この試合で、生まれて始めて、胴回し回転蹴りを喰らったが、咄嗟に捌いて、丸め込んで抑え面を取ったあたり、当時三段としては、面目躍如だった。
名前は知っているが、実際に見たことはない技を喰らい、それを咄嗟に捌けたときの喜びが、私をこのアマチュア異種格闘技戦にのめり込ませた。
他流の研究を怠らない。流行ってる技は喰らう可能性がある。まさに、古術の教える<今様手習い>の教えは、真実であるというのも、この異種格闘技戦を通して、身に染みて理解した。
この年の近辺を調べると、三年前の1993年。UFC1があり、グレーシー柔術などと言う聞いたこともない武道なのか?格闘技なのか分からないものが突然登場した。
その翌年。1994年には、我々の希望であった大道塾の市原海樹選手が、まさかの一回戦で、ホイス・グレーシーに破れ、打撃では、寝技に勝てないのかと、悔しい思いをした。
今振り返ってみれば、1990年代。総合格闘技黎明期の頃、俺もまた、アマチュア・草の根ではあったが時代の流れにどっぷり浸かっていたんだなと痛感する。
この当時、東の北斗旗、西の真武館が、打撃系総合のトップリーグだとしたら、同じ福岡に拠点を置く、日本拳法道は、打撃系から総合へ入る登竜門だったと言える。
この日本拳法道福岡武道館で、まずは、他流試合をこなし、グローブ空手で、防具無しの経験を積み、最後は、真武館全日本に出る。そこで、上がり。
そんな感じだったと思う。
あれから、26年。武道・格闘技界の勢力地図も大きく変わった。
大道塾は、空道となり世界に普及。一方、真武館は、最近、どうなっているのか、噂を聞かない。それよりなにより、ブラジリアンの普及に驚かされる。
今や、我々の住む片田舎でも、総合系のジム・KBのジムが目白押しで、こんなに、ブラジリアンが普及するとは、この時点では、想像し得無かった。
残念ながら、日本拳法道は、未だに存在してること自体、関係者以外には、全く知られていない。しかし、草の根アマチュアが、異種格闘技戦のわくわく感を<やる側>として体験するなら、この防具・このルール・そして、このフルオープントーナメントという大会形式が必須であり、最良だと思っている。
防具式徒手総合武道・日本拳法道に興味を持たれた方は、下記の風門館事務局に連絡をください。
風門館事務局 0947・32・3550。代表福光まで。