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風門の儀2021。風門館@誇りのために。鍛錬手合L2 田川郡福智町武道館。
12月12日。
私は、人間には、誇りがいると感じている。では、その誇りをどう作ればいいのか。
やはり、武術技を練り、身削ぎの行によって、御魂を磨き。磨き上げて、御魂を月の映る湖面のように磨き抜く。鏡を磨くように、自分を錬磨する。
その過程の中で、自然と誇りが生まれ、身につくのではないかと考えている。
芸法修練の目的は、多様だが、「御魂磨きの行」という側面は、必然として、起こり得る。
「明鏡止水」の境地に達した、名人・達人と言われた古人の多くは、実は、術を極める過程で、必然的に、その境地に達したのではないかと勝手に推察している。
最も、我々のような、凡夫には、そういう境地は難しい。しかし、身削ぎの結果として生まれる誇りは、これは、やったら、やった分だけ生まれる。
問題は、自分の出来る範囲でやななければならないと言うことだ。なぜなら、身削ぎとは、文字通り身を削ぐわけだから、怪我と隣り合わせだ。
若いときなら、自分の思うようにで、いいかも知れないが、家人を養い、仕事場で、一定の責任を果たす年になった時、軽々しく、身削ぎの行に熱中するわけにはいかない。
そこが、難しい。
世の中には、身削ぎの行として・荒行を行う武道・格闘技はいくらでもある。しかし、我々のような、市井に暮らす凡夫にとって、それらは、激し過ぎる。
かといって、形稽古の武道へいくと、完全に形稽古しかしない。
それが、私にとっての、不満であった。
私のような、虚弱で、俗物な人間でも、御道の修行がしたい。私でも、出来る行場はないのか?
その欲求不満が生み出したのが、今の風門館である。
週1回。2時間。前半は、護身用の手と組み討ちを形稽古で練る。
後半は、受け返し稽古を中心に楽しく当身技を練る。サンドバッグを撃ち込んで当て力をつける。
最後に、普段は、マススパーのみ。試合が近づいたら、試合に出る人は、防具を装着して徐々に当たりを強くしていく。
それを繰り返しながら、身魂を磨いていく。
風門館は、私の中で、理想型である。40代後半の男たちが、けっこうバチバチ撃ち合って身削ぎをしている。
こんな感じで御道の行をやりたいという人がいれば、一緒に汗を流しましょうと誘いたい。