風門之儀2020。「一歩踏み出す勇気のために」 対面シャドウ in田川郡大任町B&G。8月9日。
https://www.youtube.com/watch?v=eC3y93-Go-8
風門館は、「大人のための護身教室」を謳い文句にして、活動している。
思うに、武道・格闘技というのは、若い人間がするものだと言う一般的な思い込みに対して、異論があるからだ。
護身とは、弱い人間にとって必要なもののはずだ。となれば、老年になってからこそ必要だとも言える。
その際、その受け皿があるかというと、競技武道や格闘技は、やはり、若い現役選手中心で、老壮年は、指導者ではない限り、隅の方で稽古している感じではないだろうか?
今は、違うのかも知れないが、私の若い頃は、そんな感じだった。
また、合気道などは、老壮年も一緒に混じって稽古できるので、その点は、素晴らしいのだが、今度は技の制約が多すぎる。
例えば、合気道などの場合。稽古する技が決まっており、回し蹴りや、面突きへの対処については、稽古すると言うことをしない。私は、合気道のあり方を否定するつもりは無いが、技の自由度が狭すぎて、不自由な感じは否めなかった。
そういうのは、余所でやれと言っても、現実問題、仕事が多忙な社会人で、週に3日、空手と合気道と柔道を学ぶと言うことは不可能に近い。
護身に関して、ワンストップの道場を作りたい。また、そういう層の受け皿になりたい。それが、私が風門館を運営してきた最大の理由である。
日本拳法道の良さは、元々、ルールの自由度が高いため、普段の稽古も自由に研究できるところにある。また、そういう具合だから、組織的にも自由度が高い。そこが、私の性分とあったんだろうと思うが、いつ潰れるかわからない状態で、既に31年間、生き延びているから、奇跡に近いかも知れないし、やはり、そういう需要があるのだとも言える。
いつも、前置きが長いのだが、この対面シャドーと言うのは、優れた稽古法だと自画自賛している。
単なるシャドーに比べると、相手と向かい合ってる分、やはり、緊張感が出てくる。しかし、絶対に、拳足が当たらない距離で、技を出すから、これに関しては、100%安全である。
ただ、相手のシュ・シュと言う吐く音が聞こえるので、緊迫感はある。
これで、慣れてくると、徐々に距離を詰めて、着胴・着籠手、首から下はライトコンタクト・上段は完全寸止め・打撃のみの<鍛錬手合レベル1>となる。
寸止めの難しいところは、初心者は、打撃のコントロールが出来ないところにある。寸止めのつもりでも当たってしまう。
だから、その手前の、対面シャドーが重要になる。
A氏のように、50過ぎて入門しても、あるいは、仁駈丸氏のように、身体に障害があっても、現役組みが、バンバン組み手をしている横で、形稽古だけだと寂しい感じを持つものだ。
しかし、この対面シャドーであれば、100%安全だし、何より<やった感>がある。
武道稽古の中で、重要なのは、<やった感>である。充足感があるから、また、次も来ようという気分になる。
老壮年は、形稽古中心で良いのだが、やはり、<やった感>も欲しい。その際に、優れているのが、この対面シャドーなのだ。
ここで動きがこなれて来れば、レベル1に進む。私は、50過ぎの人間は、レベル1で十分ではないかと考えている。もちろん、先をやりたい人はやっても良いのだが、無理をしてしなくても良いというのが私の考えだ。
形稽古と対面シャドー・鍛錬手合L1
老壮年に取っては、怪我をしないと言うことも重要な護身の一つだ。だから、無理なスパーは、しなくて良いと思う。面付きでも、頭を打つ稽古は、後遺症が怖い。また、ムチウチにもなりやすい。
護身のために稽古して、気がついたら、ムチウチになって、いざと言うときには、戦闘力が弱ってしまったでは意味が無い。
そこらへんお見極めは難しいのだが、風門は、そう考えて運営していると言うことだ。